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ホラーハウス

     9

 ホラーハウスの生活に、あたらしい希望がめばえてきた。もう逃げまわるだけじゃない。看護婦長の陰におびえるだけじゃない。七人は明確な意思をもってたちむかおうとしている。そのなかで美代子だけは浮かない顔だった。これまでも看護婦長たちをやっつけようとした男の子たちはいたのだ。でもそのたびにてひどい返り討ちにあってしまった。そのせいで彼女はあやうく独りぼっちになりかけたのだから。でも、彼女の直観はこの作戦がうまくいくと告げていた。
 屋上の非常階段をあがる。無機質でつめたい扉に手をかけ、ノブを回した。扉のむこうには待合室がまだあった。向こうも夜になっている。これで、カギがなくても別の世界にいけるとわかった。
 こどもたちはありったけの消化器、モップをかきあつめた。用務員室には、冬場につかう灯油のタンクが保管してあった。マッチもみつけた。こどもたちは三階にそれらのしなをもちこんだ。最後ににげこむ場所は待合室と決めたからだ。
 武彦のとうちゃんは消防官だった。消火栓からホースをひっぱりだし、万が一にそなえた。三階と二階をつなぐ階段では、踊り場に机を積みんでバリケードにし、灯油をまいて看護婦長の進入をふせぐつもりだ。
二階につづくている。
 階段には灯油のにおいがこくただよっていた。けれど、看護婦長は視力がよわかったし、濃い化粧のせいで鼻もきかない。気づかないはずだ。淳也はマッチを握りしめた。武彦は頼りがいがあったし、太一は臆病者だけど体はビッグサイズだ。その二人がいないのはなんともこころもとなかった。
 こどもたちは職員室からカギを借りて、音楽室の楽器をとりだしていた。これで看護婦長をおびきよせるつもりだった。
 美代子の勘では、看護婦長がくるのは、二階より下ということだった。家庭科室からみつけた包丁や果物ナイフも用意した。真夜中の学校でこどもがそんなものをにぎりしめているのは、なんだか不気味でこっけいにみえた。みんな災害用のメットをかぶり、体には茶室でみつけたざぶとんをまきつけた。
「あいつらとは戦おうとしちゃだめだ。力じゃかなわないんだから」
 と祥輔は忠告したが、みんな百も承知みたいだった。
 祥輔は準備がととのうほどに不安になった。みんなできそこないのヌイグルミみたいだ。
それに美代子の直観がどんなにたいしたものでも、的確に判断できなくては意味がない。学校は隠れ場所が多いけれど、隠れることじたいが危険だった。扉のちかくにいなくてはカギがつかえない。鬼ごっこはつかまっても自分が鬼になるだけだが、ホラーハウスでは死体になってしまうのである……。

     10

 祥輔たちは職員室にはいった。一番奥の机の下に隠れたのだ。太一はもう息づかいが荒い。美代子の第六感は、危険が近づくほどに精度がますようで、看護婦長が出てくるのは保健室だといっていた。けれど、これまでその力を目にしたことのない(自分に起こった不思議な現象をわりひいても)祥輔にははなはだ不安なことだった。祥輔の頭は今もフル回転している。回転しすぎて疲れ果ててもいたが、考えをやめることはできなかった。誰かが彼の頭脳をつきうごかしていた。
 一人に与えられるのは一つの感覚だったり、ホラーハウスには法則がある。でもなぜなんだ? それになんでぼくらなんだ? こどもは他にも大勢いる。でも無制限につかまってるわけじゃない。ここには兄弟がいたためしがないらしい。親戚もいとこもなし。おなじ町内という以外、まったく無関係のこどもが集められてる。
 祥輔がむっつりと考えこんでいるので、自然武彦と太一もだまりこみがちになった。
 武彦と太一は消化器を脇に抱えている。安全ピンはすでに抜かれていた。祥輔は果物ナイフとさらしをまいた出刃包丁をもっている。けれど、行く先では誰かがいてもさわったりはできないはずだ。
 学校の中は暗闇だったが、表の外灯は生きていた。三人は恐怖の汗をぐっしょりとかいた。三階の日向子たちの物音もしなくて四人はとっくに殺されたんじゃないかと思ったそのときだった。
 カラカラカラカラと、扉の開く音がした。武彦が急にはりつめて、祥輔の二の腕をそっとたたいた。保健室から音がたったのを聞きつけたのだ。太一も無言でうなずく。汗がうごからポタリポタリと落ちる。なつかしい看護婦長の匂いがする。甘ったるい、オーデコロンの匂い。三人は身を固くして机の下で手足をちぢこめる。祥輔には何も聞こえなかった。何も匂わなかった。でも左右にいる二人の友達は看護婦長の動きが如実にわかるらしい。看護婦長はそっとスリッパをぬいだ。汚い靴下だけになると、前屈みになり、孫の寝姿をみにいく祖母のような足取りで廊下をすすみだした。巨体からは想像もつかないみごとな忍び足だったが、武彦の耳はわずかな物音ものがさない。
 太一が両手で口と鼻をふさぐ、看護婦長が近くなる恐怖にたえかねてのことだった。オーデコロンにまざって、死体の腐臭、血の匂い、垢の匂い、看護婦長の息の匂いまで届いてくる。この匂いをかぐたびに、太一は気が狂いそうになる。カラカラカラ、今度は殺気より小さな音がした。祥輔たちは桟に石けんをぬって、音をおさえていたからだ。やばいと思った。看護婦長はあざとい。顔のつぶれたアザラシのような(おまけにうんとおばかの)顔をしているが、彼女はあざとい。この小さな策略に気づいたかもしれない。果たして、看護婦長は闇の教室に忍びこんできた。武彦は看護婦長の口が開く音を聞きつけた。獲物にちかいことをしって、にんまりと笑っているのだ。
 三階から、太鼓の音がしたのはそのときだった。かすかな音だ。それからカラカラカラと何かが回る音。淳也たちが、消火栓のホースをわざとひっ張り出しているのだ。蛇口から水が流れる音。戸を開ける音。椅子をうごかす音。淳也たちはさまざまな音を出しながら、準備を進めていた。女の子の悲鳴がした。ほんとに恐怖を感じているだけにしんに迫った声だった。
 看護婦長は、二度大きく首をまわす意味のない動作をした。それから天井に目をむけ、部屋を出て行った。
 祥輔たちは、その間中、まんじりともできなかった。武彦は看護婦長が階段をあがる音を聞いた。それから、祥輔の耳にも重い足音、あの女が階段を駆け上がっている。祥輔は息をするのを忘れていた。大きく吸いこんでから、
「いこう、いましかない」
 三人は苦労して机の下をでた。体がこわばって手足がうごかないのだ。校舎には階段が二箇所ある。看護婦長がつかったのは、東階段だ。上から何かが派手に崩れる音と、獣のような唸り声、それから男の子たちのわめき声がする。
「みんな殺されちゃうよ!」
 太一がいった。
「だめだ、ぼくらは看護婦長の部屋にいくんだ」
 祥輔は先頭にたって、出口にむかった。いっしゅん、廊下に院長がたっているのが見えたが、気のせいだったようだ。廊下には看護婦長の狂った熱気を感じた。
 祥輔たちは階段の前を横切り、家庭科室の向こうにある、保健室についた。引き戸はしまっている。彼らはここでも色ガラスのむこうに、院長の陰をみた。けれど、その陰はすぐに消えている。こんなところにいるはずがないのだ。
 祥輔は取っ手のくぼみに指をかけた。電流が走ったような気がしたが、そんなことはない。祥輔は恐怖に胸を鳴らしながら、看護婦長へのドアを開いた。

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