辺鄙な寒村を、百万都市へ

徳川家康が、江戸を世界最高の都市へと改革したのは疑いのないことです。ですが、当時の江戸、が過疎の村であったという記録は、遙か後になって出てきたもので、家康入京の折は、少々違ったようで……

そもそも江戸の名称が登場するのは、鎌倉時代の「吾妻鏡」なる歴史書

当時、浅草は、東国海運の拠点として、語られており、品川も水運の重要拠点でありました

江戸は歴史的に水運の重要な中継地点となっており、太田道灌の手により、Ⅰ度目の黄金期を迎えます。

関東の中心地となり、江戸湊には全国の物資が集まるようになるのです。

数百年間海運の拠点として、発展してきたからこそ、家康も目をつけ、東海五国を捨てる覚悟も出来た、というのが真相なのではないでしょうか?

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