ナウシカ歌舞伎が盛り上がっておりますが、江戸時代の庶民の楽しみといえばやはり寄席
歌舞伎相撲もいいですがやはり木戸銭が高い
やはり庶民が気軽に楽しめるものではありませんでした
その、寄席の木戸銭なら歌舞伎の4分の1程度です
時間も3時間程度で気軽に見ることができたようです
全て自由席。客の入れ替えはなくいちど出たら歳入場が出来ませんでした
演目は当初、浄瑠璃、小唄、講談、手品(手妻)などでした
人気があったのが「芝居噺」これは歌舞伎のダイジェスト版で1人で演じ分けていました
咄家(はなしか)は咄だけだと素咄と言われて嫌われたので必ず芸を持ちました
影絵に曲ごま、水芸、に手品、あの手この手で観客を楽しませます
大食い早食いなんてのもあります
そんな咄家の中にも、やが天才が現れます
初代、三笑亭可楽です
3つのお題をもらうと、即興でそれをつなげて、1つの咄を作り上げる三題咄を考案しました
この人が大変な人気で、可楽が寄席に上ると、2、300人の客が集まったそうです
江戸の落語を確立した名人でした
庶民が楽しんでいると女将のツッコミが入るのが江戸の常
天保の改革に引っかかって、寄席は15軒に絞られました
やがて老中水野は失脚し、寄席は息を吹き替えします
たちまち60軒余りになり、以降増え続けて、幕末には700軒にもなりました
三笑亭可楽
1777年から1833年まで
1798年からなくなるまで活躍しました
生まれは馬喰町櫛職人から噺家になりました。江戸の下谷稲荷神社で寄席を開いたのが、最初とされています。
門弟数十人を抱え、落語家名跡の祖となる噺家のほとんどが、一門から出ています。
線香が一分(三ミリ)になるまでに、即席で咄を考える「一分線香即席咄」を得意としました