新撰組八犬伝資料――幕末の政治思想を調べてみた

幕末の思想

日本の中心は誰か?

・尊王論とは、国家の中心に天皇を据えようとする思想のこと。

・佐幕論とは、徳川家を中心にした国家論体勢のこと。幕府を維持することを主眼に置いていた。

 幕府を擁護する人たちと、天皇中心の尊皇派とは、当然対立していたんですが、尊皇と佐幕を両立させようとした人たちもいて、幕末の政治思想を複雑にしています。

 植民地化の危機に直面しながら、幕府をいただくか、果たして天皇か、でもめた時代でもあるわけです。

結果としては、尊王論から派生した倒幕論が勢力を増していき、佐幕派は戊辰戦争をえて、叩き潰されてしまいます(新撰組八犬伝は、この真っ最中)。

でも、間にはいろいろあった!?

公武合体論……?

 今となっては学校で習ったかどうかも定かではありませんが、簡単に言えば公家と武家をまとめて仲良くして、天皇と幕府仲良く国をおさめればいいんじゃない? という論なのです。

 そのためにとられた措置としては、孝明天皇の妹和宮と、十四代将軍徳川家茂の結婚になります。幕府サイドとしては、天皇の権威を将軍にシフトする、天皇サイドは政治への介入力を高める、という目論見がありました。一方で、薩摩を代表する雄藩は、幕府の権力を分散させることで、政治における発言力を高めようと(このときは)公武合体論を支持したわけです。

 またもっとも肝心な孝明天皇ですが、この方は、公武合体論に積極的な人物でした。このままいけば、公武合体はうまい着地点を見つけられたかと思いますが、慶応二年、この孝明天皇は急死してしまうのです(岩倉具視の暗殺説まで当時からありました)。このため公武合体路線は大幅に後退してしてしまいました。

公議政体論……?

 については全く記憶にないですね。習ったかな?

 有識者による会議によって政治をすすめる思想のことで、公武合体論の人たちがこの論を支持することが多かったようです。坂本龍馬が起草したといわれる船中八策でも、会議による国策の決定が示されていたものの、明治になると……実力者による談合が幅をきかせてしまいましたね。

もっとも有名、尊王攘夷論

 夷狄、という言葉をご存じだろうか? 司馬遼太郎の作品で度々目にしてきましたが、もともとは朱子学での異民族をさす言葉。この朱子学を基にして生み出されたのが、二代水戸藩主徳川光圀の一大事業【水戸学】なのです。

 水戸学の尊王攘夷論は、九代水戸藩主、徳川斉昭の策謀によって幕末の日本武士の間に広まっていきました。攘夷論はほとんど宗教的な夷狄排絶論者を生み出し、幕末を大混乱に陥れました。

 もちろん西洋諸国の長所を取り入れようとする人たちもたくさんいました。似たような論を信奉する人でも、あまりに幅があったので、もめにもめたんですね。高杉晋作も若年当時は、大使館焼き討ちをするほど過激でしたが、長州を守るために主張を軟化してからは、仲間から変節漢として命を狙われています。

 この人の師匠、吉田松陰は、過激な攘夷主義者に思えますが、国情をさぐるために、アメリカの軍艦にのりこみ密航しようとしています(このときポーハタン号に乗り込むことには成功した。ペリーにより渡航は拒否される)。松陰先生は、「夷狄は神国を汚す獣」とはみずに、同じ人間として接していたんですね。

 

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