御触書、慶安実情

教科書今昔

 慶安の御触書、というのを学校で習った覚えがありますが、この記述現在の教科書からはなくなっているそうですね。

 三代家光公が、慶安年間に、農民に向けて発布した法令で、粟や稗などの雑穀を食べろとか、麻と木綿以外は着てはいけない、酒や茶を買って飲まない、早起きをして働け、煙草を吸うな、働かない妻とは離婚しろ、などなど、一日中働くことを奨励し、贅沢品は基本禁止。農民の生活を全般的に規制しています。

 農民の生活がいかに厳しかったかが、よくわかる一次資料と言われてきましたが、ところがこの御触書、家光が発布した形跡がないのです。

怪しい御触書

 まず原本がなく、そもそも代官や名主を通して農民に布告していた幕府が、直接農民に発布した、という形式が妙。幕府直々の法令であるにもかかわらず、どの書物にも記載がない! この法令は家光の時代に実在したのだろうか――

 近年になってあらわれた新説では、慶安の御触書は、幕末期に美濃国(岐阜県)の地方の藩でだされた藩内法である、というのです。その手本になったのは、十七世紀に甲斐国(山梨県)で出された「百姓身持之事」であるらしい――

御触書の実態

 幕末期は、天災人災が相次ぎ、農民の不満は高まり生活も乱れました。そんな農村を律しようと、美濃国の岩村藩が、甲斐信濃の制作を参考にした統制令を諸藩が真似をし、全国に広まったと。

 岩村藩は、法案に効果をもたせるため、慶雲年間より続く幕法である、と偽ります。おまけに、法令の作成には、幕政にも参加した、儒学者である林述斎に協力を求めたためにさらに話が複雑に。この林さんは、幕府の公式史書の編纂にも携わるえらい人であったからです。

 林は、徳川実記の中に、慶安の法律としてなぜか掲載。そのため、幕府の法令なのだと広く信じられることになったのでした……

 

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