江戸の豪商と言えばこの人、紀伊国屋文左衛門
あの、吉原を買い切り、大門を閉めさせること、三度。なかなかできることじゃない
元は紀州の人で、みかんを江戸で売りつけ大儲けをしたのが、江戸進出のきっかけでした。
京橋八丁堀に材木店をかまえると、材木を買い占め、折から多発する火事に、紀文はまたぞろ大儲け
賄賂をばらまき、悲願の御用達商人になります
新選組八犬伝の、舞台、寛永寺根本中堂も、紀伊国屋の
材木で建てられています。
このときの儲けがすごく、一挙に五十万両の金を手にすると、莫大な資産をこれでもかと使います。居宅は、八丁堀一町をしめ、来客があるたびにたたみをいれかえる
「紀伊国屋、みかんのように金をまき」
そんな文左衛門さんにも、ついに落日は訪れます。
元禄の貨幣改鋳におよんで、寛永通宝にかわる大銭の鋳造を命じられます。
御用達商人の義理で断れなかった紀文は大損害を被り、この大銭の不評はそのまま紀伊国屋のふしんとなって没落
享保三年に寂しく生涯を閉じることに相成りました。
子ガニの背に金泥で、遊女の紋を書いたり、数々の伝説を残した文左衛門
今の世には、出てこないでしょうな……
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