織田信長の住まう城

天下布武男の築いた城!

日本初の天守閣

一時は天下人目前にせまりながらも、本能寺で落命したことで、野望潰えた戦国武将・織田信長――その49年の生涯で、六つの城に住んだ。

古渡城、那古野城、清洲城、小牧山城、岐阜城、もっとも有名なのが、安土城でしょう。このの安土城、日本史のなかで、はじめて天守をそなえた城であった、と言われています。

その石垣は13メートル、天守は32メートルであったといわれていますから、後に創建された姫路城にもおとらぬ偉容をほこったようです。しかも、五階は八角形、六階は正方形というこったつくりで、内部は地下一階、地上六階の造りであったと言われています。外観五層の点でも、姫路城に似ています。というより、姫路城が安土城を参考にして建てられたのか?

 家康も、秀吉も、この安土城をまねて天守をつくったわけですから、信長の先進性はここにも発揮されたわけですが、安土城の特色は、その装飾にもあるのです。

 まず、外観――一階から四階までは、柱は黒漆、壁は白漆喰である。五六階は望楼となっており、金箔を主に、青や朱色の装飾がなされていた。

 後の世の天守は、外観こそ凝ったものだが、内部は簡素なものがほとんどだ。しかし、信長の安土城は、この悲運の武将の目指した天下布武を体現するためのものであったため、内部も絢爛である。

 襖絵は、狩野永徳一門の手によるもので、金箔をつかった障壁画まで飾られていた。並の武将では、おいそれと真似のできないものを、外観内観共に施されていたのである。

 

ローマの宣教師ですら、「ヨーロッパの最上の建築にも匹敵する」と本国に報告をしたほどのものであり、このような公的な文章で紹介された城は、安土城が初めて出会ったのでは亡いか?

石垣も初物であった

 安土城が初であったのは、天守だけではない。この城は総石垣として築かれており、これも日本史にはじめて登場した代物――

 天守、御殿、石垣と三点セットのそろった近世城郭としては、はじめてのもの――というか、近代の城郭の形式は、信長が考案したものなのだ。

 安土山は琵琶湖東岸にある。標高は199メートル。山頂に天守、その下に、家臣の屋敷、町屋が築かれており、江戸の城下町も、この安土城を参考にしているのは、疑いがない。

 この安土城の石垣をてがけたのが、穴太(あのう)衆である。比叡山山麓の穴太の里にくらした石工の集団であり、イニシエには古墳の築造を行っていた、といわれている。穴太衆はその末裔なのだから、石工としてはスーパーエリート!その工法は穴太積みともよばれ全国の城仏閣の石積みを指導したほど、技術は高かった。

 じっさい、安土城の石垣は、昭和の修繕まで、積み直されることはなかったし、天守台などは、築城当時のままである。穴太積みがもちいられた最初の近世城郭安土城。模型をみるだけでも、価値はあるかも……

 

 安土城の築城年は、天正四年。信長が本能寺の変に倒れたのち、13日後には炎上、焼失してしまいます。原因は、ハッキリしないようですが、実に惜しい! 時は天正十年。この世に姿をとどめたのは、六年ばかりの短い間でございました。

 信長の野望とともに、炎のなかに消えた安土城――戦国ロマンを漂わせるお城の一つであります。

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