天皇陛下、相撲を救う

 維新による近代化は、日本の伝統的な習俗文化には、冷たかった。

 二千年の歴史を持つものも例外とはならず、野蛮の一言で存続の危機を迎える。その一つが相撲である。

 日本古来の格闘技のみならず、神事として朝廷の年中行事にも欠かせなかった。 その起源は古事記にも見られる。

 明治四年「裸体禁止令」が出た。戸外で衣服を脱ぐことを禁じる法律で、力士たちはそのあおりを食った。

 相撲の興行は、江戸時代には現在に通じる仕組みが整っており、1827年には、両国、回向院を常設会場に、年二回の本場所興業がおこなわれている。

 明治初期、相撲は国技ではなく、数ある娯楽のウチの一つに過ぎなかった。裸の人間同士の戦いなど、野蛮だ、という、文明人らしい批判も受けた。

 東京の力士たちは、相撲の必要性を認めさせるために、一計を案じる―― 彼らは力士による消防団を結成する。アスリートによる社会貢献のハシリである。

 ところが、この消防作戦は失敗に終わる。 力士たちには、火消しの知識もなければ、経験もない。江戸から続く町火消しのプロ集団には、全くかなわず、出動しても、大きな身体でモタモタするばかり。役立たずの烙印を捺されてしまう。

 有力力士の分派騒動の追い打ちもあって、相撲人気は衰退の一途!
 このまま廃業を待つばかりかと落胆する力士たちの元に、事態を好転させる話が舞い込む。 明治天皇による「天覧相撲」の開催である。

 もともと自らたしなむほどの相撲好きで、伊藤博文の尽力の甲斐あって、浜離宮にて展覧と相成った。 二度の水入り後に、引き分け裁定となった結びの一番が評判を呼び、人気は急速に上向いていく。この天覧相撲をきっかけに国技として公認されていく。

 プロ野球も、昭和天皇の天覧試合以降、国民的球技へと成長を遂げたが、天皇様々の力士たちなのでした……

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