敵は本能寺にあり――
明智光秀が、織田信長に謀反を起こすときに放った一言。
日本の歴史上でもかなり有名なセリフの一つですが、残念ながら後世の創作。
確認できるもっとも古い記述は、明智軍記、で、本能寺の変から、百年ほどのちに書かれたものです。筆者は不明。事実関係もデタラメですが、「敵は四条本能寺、二条城にあり」と記載されているそうです。
この明智軍記を参考に、江戸時代後期に書かれたのが「日本外史」
ここでも「敵は本能寺にあり」というセリフが採用されます。
この日本外史は、多くの人に読まれ、明智光秀の名ゼリフも広まっていき今日にいたります。