夭折した天才! 梶井基次郎

 

梶井基次郎は、1901年明治34年に生まれた。没は1932年。わずか31年の生涯で、それゆえ、残した作品も20篇余りで多くない。

檸檬は、そんな梶井の代表作で、1925年の同人誌『青空』創刊号に掲載。このときは評判にはならなかった。
檸檬が注目されるのは、1931年、初の創作集『檸檬』が刊行されて後のことである。
同年には「のんきな患者」を仕上げて、初の原稿料を受け取っている。

このように梶井が認められ出したのは、死の前年であり、作家生活も七年ほどにすぎない。そのほとんどは同人誌での活動であり、梶井が文学界で独特の地位をしめるようになったのは、死後の話である。

長く結核とつきあい、晩年病状に苦しんだ梶井だが、本人は平静重病であることを他人に悟られぬようにしていたという。また非常に五感のするどい人で、作品によくあらわれている。友人思いの優しい男で、子どもにも好かれたという。ただ、結核といううつる病気を、本人は大変気にして傷つくこともあった。

檸檬、は、とても読み応えのある作品でしたので、梶井先生の他の作品も順次読んでいこうと思っております。
ちなみに、命日の3月24日は、檸檬忌、と呼ばれているそうです。

梶井先生に、みんながほめているのを、きかせてあげたかったなあ。

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1928年『詩と詩論』第2冊に掲載。作品集、檸檬収録作品。

結核の療養のため、伊豆湯ヶ島を訪れた基次郎は、川端康成の紹介で、湯川屋、に長期滞在するようになる。川端夫妻とともに、みた数々の桜と、一進一退する病状の中で、「桜の樹の下には」は着想されたと言われている。

 基次郎は、1928年に湯ヶ島を去った。
 詩と詩論の寄稿依頼にこたえるため、執筆をはじめるが、結核の病状はかなり進行していたようである。
 伊藤整は執筆以前に、「桜の樹の下には」の内容を直接聞いていたが、できあがったものはかなり短くなっており、結核による体力の削少の影響があったのかもしれない。

 基次郎は、これを詩ではなく、小説であると語っていたという。

結核に追い込まれた基次郎が、両親の老いにも行き当たって創作活動を決意。伊豆にて、闇を主題にした草稿を書き始める。今朗読の蒼穹は、その中で編み出されたものである。

ボードレールの影響を受け、短いながらも評価は高い。風景描写をメインとしながら、作者の心情があらわれてくるすぐれた小品となっており、稀れな詩人的文体を創始を、三島由紀夫は賞賛している。

伊豆湯ヶ島滞在時の体験が生かされた作品です。
「湯川屋」に宿泊していた基次郎は、同じく伊豆の「湯本館」に滞在していた川端康成のもとを毎日のように訪ねていました。『伊豆の踊子』の校正を手伝っていたのですが、渓沿いの夜道を毎日帰っていたそうです。闇の絵巻はその三年後に執筆され、文壇にみとめられるきっかけとなりました。二十才で発症した結核に苦しみながら、小説を書き続けた基次郎。死と向き合い続けた基次郎がみいだした闇はどのようなものであったのか?
本作をお楽しみください。

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