志村けんの残した言葉

 志村けんさんが亡くなったときは、まだ仕事はなくなっていなくて、現場にいて少し休憩をして、コーヒーを飲みながら、チャイムの鳴ったスマホをとった。けんさんが体調を悪くして、数日前に入院したことは知っていた。じきによくなると思っていた。ならなかった。けんさんは、短い間に瞬く間に、この世の人では亡くなった。

 考えてみると自分は、年代的な、親兄弟と共にテレビの前に陣取って、この人がブラウン管をところせましと駆け回るのをずっと見ていた。長じて、けんさんは年を取り、昔ほど元気には駆け回らなくなったけど、やっぱり笑顔でテレビの中に――そこにあった。それがいなくなった。

 一報をきいたときのショックは意外なほど大きく、自分でも予想できないほどだった。テレビで毎週見ていたあの人がいなくなるとは、しばらく会えなかった親類が消えた以上に衝撃だった。だって、子どものころからけんさんに長らく会わなくなることがなかったのだから。

 そんなわけで、自分もこの時期に朗読をはじめて、けんさんの言葉があるのを知り、読んでみることにした。追悼でもなんでもないけれど、読んでみたいと思った。志村けんという人が何を考え、なにを伝えたかったのか、その欠片でもくみ取ることができれば幸いである。

 けんさんが、名言を? と思う人もあるかもしれない。が、あれだけ一つのことに打ち込んでやり抜いた人であるだけに、その言葉には深さと重みがある。

 だから、この動画をみたあとに、ちょっとだけ思い出して欲しい。
 この日本に、ちょっとだけ素敵なおじさんが居たことを。
 ちょっとだけ、変なおじさんがいたことを。

 志村けんがいたことを。

 

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