恐怖の雑学

やってはいけない雑学

オーストラリアの場合

オーストラリアは誰の者か?

五万年前。オーストラリアは誰の者だったのか?

当時の海水面は、現在よりも百メートル以上も低いものでした。オーストラリアは、ニューギニア島、タスマニア島とつながっていたのです。かわって、スマトラやボルネオはアジアと地続き(スンダランドという)で、両大陸は容易に行き来ができる状態でした。

スンダランドとは?

 オーストラリアの先住民といえば、アボリジニです。

オーストラリアの発見?

 歴史に残るヨーロッパ人のオーストラリアへの上陸は、1606年まで遡ります。古代インド人と混血していたという研究や、黒人や白人と交流していたというアボリジニの伝承もありますが、とまれ、オランダ東インド会社の上陸以降、ヨーロッパ人は少しずつ大陸を確認していき、自らの名を残していくことになります。オーストラリアを”発見”した有名人にはイギリス海軍の探検家、ジェームズ・クックがいます。

 1786年には、イギリスにより、流刑植民地とされ、囚人による開拓がはじまります。1839年の流刑制度の廃止まで続きました。

 1851年、金鉱が発見され、ゴールドラッシュがはじまります。この時点で、437665人の人口が、十年後には、1168149人の2.6倍強まで激増します。

オーストラリア、人を選ぶお話

 このとき、大量の中国人鉱夫が移民となって押し寄せます。

 外国人に仕事を奪われる――現代の移民問題にも通じる危機感を持った白人社会は、アジア系移民を標的に、法的に移民を制限しようと動き出します。

 1901年、オーストラリア最連邦成立。「移民制限法」とうういろいろ剥き出しの法律が作られます。これにより移住希望者は、書き取りテストに合格する必要が出てきたのです。

 移住希望者の母国語以外の言語でのテストです。このため合格者がほとんど出ないという、極めて不公平な法律となっていました。合格すれば……という甘い期待を隠れ蓑に、白人以外の移民は認めない試験となっていたのです。

 この制度は、差別意識を生み出し、法に影響を与えるようになります。非白人の移民者には、雇用、社会保障、選挙などにおいて、厳しい制限が加えられていくようになるのです。

 こうした、白人を優先し、非白人を排除する政策を、白豪主義と言います。

 内外の批判を受けて、方向転換をはかるのは、ようやく1960年代になってからのことです。

オーストラリアにもともといた人々……

 オーストラリアで徹底した迫害をうけたのは、アボリジニの人々でした。

 ヨーロッパ人の侵食がはじまるまえ、アボリジニの人口は約30万人〜100万人と言われ、250の言語が存在(現在は75にまで減少)、700の部族があったといいます。

 病気のもちこみ、スポーツハンティングの標的などで、1920年代には、七万人まで減少します。

 天然痘などの伝染病への免疫がなかったのですね。インカ帝国や北米のインディアンにも通じる話です。

 1828年には、開拓地に入り込んだアボリジニは、自由に捉えて殺していいという法律まで出来たのですから恐ろしい。

 オーストラリア政府が、隔離政策について謝罪したのは、2008年になってのこと。

 イギリスの植民地となって以降、200年の間迫害が続き、現在も貧困などの問題を抱えています。同化政策により、多くが都市部に住むようになりました。政府から援助金も出ていますが、それを酒やドラッグにかえるなどの問題も発生しています。

ほんとうに怖い植民地支配

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丸竹書房

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