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AudioBook podcast版 シャーロックホームズ コナン・ドイル作

 

というわけで、今回はpodcast版音本シャーロックホームズです。連載中。

唇のねじれた男、視聴者の方から、七之助捕物帳の一遍がよく似ている。参考にしたかもしれず、面白いとの指摘をいただきました。

興味深いので、ホームズも読んでおります。

以下は、作品に関して、気になった点をAIを駆使して調べてみました。

Q作中に出てくる、阿片窟、および阿片は当時どのように使用されていたのか?

・イギリスと阿片とくれば阿片戦争

 中国で阿片(鴉片)が蔓延した時期と、イギリスの19世紀の阿片文化は重なっています。

 中国では阿片は 18世紀末から19世紀にかけて 深刻な社会問題となりました。阿片は当初、医薬品として使われていましたが、イギリスの東インド会社がインドで栽培した阿片を清(中国)に大量に輸出し始めたことで、中毒者が急増しました。

19世紀初頭(1800年代前半)には、中国国内で阿片の消費が爆発的に増加し、経済にも悪影響を与えました。

1839年 – 1842年:アヘン戦争(第一次)
→ 清の林則徐が阿片を禁止し、イギリスとの戦争に発展。

1856年 – 1860年:第二次アヘン戦争
→ イギリスはフランスと共に清を攻撃し、阿片貿易を合法化させた。
このように、イギリスが中国に阿片を売りつけ、清朝の社会と経済を崩壊させる原因となったのが、中国における阿片の歴史的背景です。

Qイギリスの阿片

・中国にひろめた阿片。イギリス国内でも使用されていたのか?

 イギリス国内でも 19世紀 は阿片が広く使われていました。しかし、中国とは違い、医薬品や娯楽の一部として使用されたのが特徴です。

・阿片チンキ(ラウダナム、作中にも出てくる) が鎮痛剤や咳止めとして一般的に販売されていた。
・詩人や作家(コールリッジ、ド・クインシなど)が阿片を使用し、文学に影響を与えた。
・労働者階級や貧困層 の間では、酒とともに娯楽として使われることもあった。

 特に『唇のねじれた男』のように、ロンドンには 中国人が経営する阿片窟 があり、イギリス国内の一部の人々も阿片に依存していました。

『唇のねじれた男』の時代(1880年代)は、ちょうど中国では阿片戦争後の影響が続き、イギリス国内でも阿片が広く使われていた時期にあたります。ロンドンの阿片窟の存在は、イギリスが中国との阿片貿易で得た利益の一部が、逆に国内にも影響を及ぼしていたことを示唆しています。

 中国では国家の危機を招き、イギリスでは社会問題として広がったという点で、阿片は19世紀の歴史に大きな影響を与えた共通の存在だったと言えます。
 中国に阿片をはびこらせて、とんでもねえな、と思っていましたが、医薬品の感覚だったんですね。

・イギリスでは、阿片は主に 医薬品 として広まりました。特に以下の形で流通していました。

・阿片チンキ(ラウダナム / Laudanum)

阿片をアルコールに溶かしたもの。
鎮痛剤、咳止め、下痢止め として使用。
赤ちゃんの夜泣き対策 にまで使われた。

・パレゴリック(Paregorik)

阿片をアルコールで薄めたもの。
咳や不眠症の治療に用いられた。

・モルヒネ

19世紀に注射器が発明され、阿片から抽出したモルヒネが手軽に使用されるように。
戦争で負傷した兵士がモルヒネ中毒になるケースも増加。

 

・阿片入りの薬

大衆向けに「万能薬」として販売。
風邪薬や痛み止めとして子供にまで使用。
👉 阿片は医師の処方箋なしで自由に買えたため、貧困層を中心に常用者が増えました。

 阿片中毒の広がり

イギリスの阿片中毒は、特に労働者階級や貧困層に広がりました。

貧困層の娯楽

酒より安く、「夢を見る」ことができるため、労働者階級に人気。
過酷な労働環境の痛みやストレスを和らげる手段として常用。

文学者・知識人の使用

詩人のサミュエル・テイラー・コールリッジ(『クーブラ・カーン』)
作家のトマス・ド・クインシー(『阿片常用者の告白』)
ルイス・キャロル(『不思議の国のアリス』にも阿片の影響が見られる)
芸術家や作家がインスピレーションを得るために使用。

 

家庭での使用

赤ん坊の夜泣きを止めるためにラウダナムを与える母親が多かった。
子供の死亡率が高かった原因のひとつに「過剰投与」が挙げられる。
👉 結果として、19世紀のイギリスでは阿片中毒が深刻な社会問題となり、多くの人々が健康を損ない死亡するケースも増加しました。

🔬 3️⃣ 社会への影響

労働者階級の崩壊

中毒により働けなくなる人が増加。
貧困から抜け出せない悪循環に。

犯罪の増加

阿片を買うために盗みや売春に手を染める人が増えた。

精神疾患の増加
常用により精神が不安定になり、幻覚や妄想に苦しむ人も。

 

都市部の「阿片窟」

ロンドンのイーストエンドや港町では、阿片を吸う場所(阿片窟)が増加。
ここに通う者は、貧困層だけでなく、一部の上流階級や芸術家にも及んだ。
👉 この状況は『唇のねじれた男』のような小説にも描かれ、社会の暗部として注目されました。

⚖️ 4️⃣ 政府の対応

1868年「薬剤法」

医師・薬剤師以外の販売を制限。
ただし、処方箋なしでの購入は依然可能。

1870年代以降の規制強化

19世紀後半には阿片中毒の危険性が広まり、販売規制が強化された。

1900年代初頭に本格的な規制

1906年:「食品・薬品法」施行。
1920年:「危険薬物法」により、阿片の販売が厳しく制限。
👉 19世紀中は「必要な医薬品」と考えられていたが、20世紀に入ってようやく「危険な薬物」として認識されるようになった。

⚖️ 2️⃣ 阿片貿易の終焉
阿片貿易は各国で段階的に規制されていきました。

🇬🇧 イギリス
1913年:イギリス政府が中国への阿片貿易を完全に禁止
1920年代:阿片に関する国際条約を推進
🇨🇳 中国
清朝時代(19世紀):阿片禁止に失敗
民国時代(1912〜1949):国民政府(蒋介石)が取り締まりを開始
1949年以降:共産党(毛沢東政権)が「麻薬根絶運動」を徹底
👉

特に毛沢東の時代には、阿片密売人や中毒者に対する厳罰(時には死刑)が実施され、ようやく中国から阿片が消えた。

📌 まとめ
✅ 阿片貿易は1760年代から始まり、1949年に完全に終結。
✅ 中国では阿片戦争(1839-1842、1856-1860)で貿易が合法化され、19世紀後半にピーク。
✅ 20世紀に入ると国際社会が阿片禁止を推進し、イギリスは1913年に中国向けの阿片貿易を停止。
✅ 1949年、毛沢東政権の徹底的な取り締まりで阿片は中国から根絶。

👉 阿片貿易が完全になくなるまで、約150年かかった!

Qホームズがコカイン注射を常用する描写が出る。コカインも合法だったの?

📌 コカインは当時違法だったのか?
✅ 19世紀後半〜20世紀初頭のイギリスでは、コカインは違法ではなかった。
✅ コカインは「医薬品」として販売されており、危険性はあまり認識されていなかった。
✅ しかし、20世紀に入ると中毒性が問題視され、徐々に規制が強化された。

🧪 1️⃣ 19世紀のコカイン事情

コカインは、当時「安全で効果的な薬」と考えられていた!

1859年:アルベルト・ニーマンがコカインを単離
1884年:ジークムント・フロイトがコカインの研究を発表(「奇跡の薬」と呼ぶ)
19世紀後半:イギリスを含むヨーロッパ各国で「鎮痛剤・強壮剤」として販売
1886年:アメリカで「コカ・コーラ」が発売(当時はコカインが含まれていた)
👉 当時の医者はコカインを「疲労回復」「精神安定」「鎮痛剤」として処方していた。 👉 ヘロイン(1898年に発売)よりは「安全」と考えられていた。 👉 医師の処方なしでも買えた。

つまり、シャーロック・ホームズがコカインを使うのは違法ではなかったし、珍しいことでもなかった!

⚖️ 2️⃣ コカインの規制はいつ始まったのか?
コカインの危険性が広く知られるようになるのは 20世紀に入ってから。

🇬🇧 イギリス
1914年:第一次世界大戦中に「戦争精神病(シェル・ショック)」対策で軍隊でもコカインが使われる。
1916年:「兵士がコカイン中毒になっている」と報道され、社会問題化。
1920年:「危険薬物法(Dangerous Drugs Act)」でコカインが規制される。

🌍 世界的な規制
1912年:ハーグ国際条約でコカインの流通を制限
1925年:国際連盟が「コカインを医療目的以外で使うことを禁止」
👉 ホームズの時代(19世紀末)はまだ合法だったが、20世紀に入ると厳しく規制されるようになった。

📌 まとめ
✅ コカインは19世紀後半には「医薬品」として合法的に流通していた。
✅ 当時は中毒性や危険性があまり知られておらず、フロイトを含め多くの医師が推奨していた。
✅ イギリスでは1920年に「危険薬物法」で規制され、それ以降は違法になった。
✅ シャーロック・ホームズがコカインを使っていたのは、当時の価値観では「違法」でも「異常」でもなかった。

👉 つまり、ホームズがコカインを使っていたのは時代的に普通のことだったが、その後、危険性が認識されて禁止された!

Qコナンドイル自身はコカインを使っていた?

 

📌 コナン・ドイル自身はコカインを使っていたのか?
✅ 結論:コナン・ドイル自身がコカインを使用していた証拠はない。
✅ しかし、彼はコカインの医学的利用に肯定的な立場だった。

🧐 1️⃣ コナン・ドイルの医学的背景
コナン・ドイルは 医師としての経験 があり、19世紀の医学の知識を持っていた。

1859年:スコットランドのエディンバラに生まれる。
1876年:エディンバラ大学医学部に入学。
1881年:医師免許を取得し、眼科医として開業。
当時の医学では、コカインは「有用な薬」として評価されていた。

鎮痛剤、抗うつ剤、強壮剤として使用。
1884年、フロイトが「奇跡の薬」として推奨。
👉 ドイルは、医学の知識をもとにコカインを「危険ではない薬」と考えていた可能性が高い。

📖 2️⃣ シャーロック・ホームズとコカイン
シャーロック・ホームズは 「7%溶液のコカイン」を注射 している。
これは「知的活動を高めるため」だと説明されている。
ワトソンはコカインの使用を批判しているが、ホームズは「退屈を紛らわせるために必要」と主張。
🧐 では、これはドイルの実体験なのか? 👉 コナン・ドイル自身がコカインを使っていたという記録はない。 👉 しかし、医師として「コカインは無害」と考えていた可能性は高い。

🛑 3️⃣ コナン・ドイルは後に考えを変えた?
1890年代以降、コカインの中毒性が問題視され始める。
医学界では「コカインの乱用は危険」という認識が広まる。
コナン・ドイルも次第にコカインの描写を減らしていった。
👉 初期のホームズはコカインを使っていたが、後期の作品ではほとんど出てこない。
👉 これは、ドイルがコカインの危険性を認識し、考えを改めた可能性がある。

📌 まとめ
✅ コナン・ドイル自身がコカインを使っていた証拠はない。
✅ 彼は医師だったため、コカインを「当時の医学的知識に基づき有益なもの」と考えていた可能性が高い。
✅ しかし、1890年代以降コカインの危険性が広まり、彼の考えも変わったのか、ホームズのコカイン描写は減少していった。

👉 つまり、「コナン・ドイル=コカイン中毒」という説はないが、当初は肯定的に考えていた可能性が高い!

Qコナンドイルは何年まで生きて、何歳まで、ホームズを書いた?

📌 コナン・ドイルの生涯とホームズ執筆の期間
✅ コナン・ドイルは1859年生まれ、1930年に死去(享年71歳)。
✅ シャーロック・ホームズを執筆した期間:1887年〜1927年(約40年間)。
✅ 最初のホームズ作品を発表したのは28歳、最後の作品を書いたのは68歳。

📖 1️⃣ コナン・ドイルの生涯
1859年(0歳)スコットランド・エディンバラに生まれる。
1876年〜1881年(17〜22歳)エディンバラ大学で医学を学ぶ。
1882年(23歳)南アフリカで医師として働く。
1887年(28歳)シャーロック・ホームズのデビュー作『緋色の研究』を発表。
1893年(34歳)ホームズを「ライヘンバッハの滝」で死亡させる(『最後の事件』)。
1901年(42歳)『バスカヴィル家の犬』でホームズを復活させる。
1927年(68歳)最後のホームズ短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』を発表。
1930年(71歳)心臓発作で死去。

🕵️‍♂️ 2️⃣ コナン・ドイルは何歳までホームズを書いた?

1887年(28歳):ホームズデビュー(『緋色の研究』)
1927年(68歳):最後のホームズ作品(『シャーロック・ホームズの事件簿』)
1930年(71歳):死去
👉 つまり、コナン・ドイルは28歳から68歳まで約40年間にわたってホームズを書き続けた。
👉 死の3年前(68歳)までホームズを書いていたが、最後の作品集ではやる気があまりなかったとも言われている。

📌 まとめ
✅ コナン・ドイルは1859年生まれ、1930年に死去(享年71歳)。
✅ シャーロック・ホームズを書いたのは1887年〜1927年(28歳〜68歳)。
✅ 約40年間にわたってホームズを書いたが、一時期(1893年〜1901年)は執筆を中断し、ホームズを「死なせた」。
✅ 最晩年は心霊研究に没頭し、ホームズに対する興味を失っていた。

👉 「ホームズの生みの親」でありながら、後年は心霊研究の方に夢中になり、ホームズを「邪魔な存在」と感じていたと言われる!

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