朗読 山本周五郎 「与茂七の帰藩」 Harugoro Shichimi

 

 

山本周五郎 作品集

与茂七の帰藩

山本周五郎 著

作品・作者紹介

著者:山本周五郎(やまもと しゅうごろう)

1903年(明治36年)- 1967年(昭和42年)。山梨県出身。本名は清水三十六(しみず さとむ)。大衆文学の巨匠として知られ、市井の人々や武士の生き様を、深い人間愛と独自の史観で描いた作品を数多く残しました。「読者のもの」という信念から直木賞をはじめとする全ての文学賞を辞退したことでも有名です。その作品は今なお多くの読者に愛され、映画やドラマの原作としても高い人気を誇ります。

山本周五郎の作風

貧しい人々や社会の片隅で生きる人々に温かい眼差しを向け、その中に宿る誠実さや力強さ、そして人間の哀しさを描き出すヒューマニズムあふれる作風が特徴です。勧善懲悪にとどまらない深い人間洞察と、読者の心に寄り添う物語は、時代を越えて共感を呼んでいます。

本作「与茂七の帰藩」について

本作は、己の強さを恃んで傲慢に振る舞う二人の若き武士の対決を通じて、人間のプライド、成長、そして真の強さとは何かを問う物語です。一触即発の緊張感の中に、自己を省みるという普遍的なテーマが織り込まれており、山本周五郎らしい人間ドラマの深みが味わえる一編です。

主な登場人物

  • 金吾 三郎兵衛(きんご さぶろべえ): 「白い虎」の異名を持つ彦根藩の剣士。美貌の持ち主だが、自らの腕を恃み、傲慢で峻烈な性格。
  • 斎東 与茂七(さいとう よもしち): かつて「野牛」と恐れられた元筆頭剣士。三年間の江戸詰めを終え、彦根に帰藩する。
  • 松子(まつこ): 三郎兵衛の妻。与茂七がかつて想いを寄せていた。
  • 榊 市之進(さかき いちのしん): 与茂七の旧友。
  • 滝川 伝吉郎(たきがわ でんきちろう): 進武館の門人。
  • 当麻 作左衛門(たいま さくざえもん): 与茂七の叔父であり、育ての親。

本作のあらすじ・動画掲載

あらすじ

彦根藩の道場「進武館」で「白い虎」と恐れられる剣士、金吾三郎兵衛。彼はその美貌とは裏腹に、粗暴で峻烈な気性の持ち主だった。高慢な態度で道場の筆頭に座る彼の前に、ある日、新たな挑戦者が現れる。かつて「野牛」と呼ばれ、藩中を圧倒していた斎東与茂七が、三年間の江戸詰めから帰藩したのだ。

藩士たちは、新旧二人の強者の対決に胸を躍らせる。三郎兵衛は与茂七の竹刀を道場に投げ捨て、公然と挑戦状を叩きつける。しかし、与茂七は意外にもその挑戦を受けず、試合を放棄してしまう。「野牛は角を折られたか」と嘲笑が広がる中、三郎兵衛の心には拭いがたい疑念が生まれる。与茂七は本当に自分を恐れて逃げたのか、それとも……。

二人の誇りを賭けた対決の行方は?そして、三郎兵衛の許嫁・松子をめぐる過去の因縁が、事態を思わぬ方向へと導いていく。二人の武士が剣を交える時、本当の強さと己の未熟さに気づかされる、魂の物語。

朗読動画

本文掲載

与茂七の帰藩

山本周五郎

金吾三郎兵衛は「白い虎」と呼ばれている。

三河の国岡崎藩の大番頭の三男に生れ、昨年の春この彦根藩の金吾家へ婿に来た。金吾五郎左衛門は四百石の御具足奉行で男子が無かったため、一人娘の松子に三郎兵衛を迎えたのである。……然し直ぐ婿の気質を見て取った五郎左衛門は、

  当分のあいだ二人で暮すが宜かろう。

と云って、城へは少し遠かったが、松原の湖畔にある別屋敷を夫婦の住居に与えてやった。……其処には僅かな召使しかいなかったし、殆んど近所との往来も無かったので、一年余日は極めて暢気に新婚生活を送ることが出来たのであった。

三郎兵衛の風貌はどちらかというと女性的であった。色白で眉が細くて、躰つきもすんなりとしている、殊にこと睫の長い眼許や、いつも油を附けているような艶々とした髪などは、通りすがりの人眼を惹くほど美しかった。……

ところがその艶冶な風貌とは凡そ反対に、彼の性格はひどく粗暴で峻烈だった。

無論そう云っても、ただ訳もなく粗暴なのではない。彼は中村流の半槍をよくするし、また一刀流の剣を執っては、彦根へ来て半年も経たぬうちに藩の道場「進武館」の筆頭の席を占めたくらいであるが、その半槍も刀法も極めて荒く、どんな段違いの相手に向っても遠慮とか加減とかいうものがない。

 ――武道に手加減があって堪るか。

理窟は正にその通りだが、彼の峻烈さはその道理を遥に越していた。

進武館の筆頭となってからは、臍輩を押えているという感じから来る一種の驕慢さが、どうしようもなく彼の態度に表われた。近頃の彼は道具を着けず、素面素籠手で道場へ出るようになった。……彼が袴の股立も取らず、竹刀に素振をくれながらまん中へ出て来て、

 ――さあ誰か来い、稽古をつけてやる。

と喚く姿は実に颯爽たるもので、綽名の「白い虎」という意味がぴったり当っていた。

 ――高慢な面だ。

 ――新参者の分際でのさばり過る。

 ――いちど音をあげさせてやれ。

そういう嫉視と反感が集って幾度か腕力沙汰があった。然しその度に辛き目をみるのは挑んだ方の連中で、三郎兵衛はその強さと、胆の太さで益々藩士たちを圧倒して行くばかりだった。

かくて湖畔に初夏が訪れて来たとき、藩士たちが手を拍って喜ぶ事件が起った。

その日。……三郎兵衛が進武館の道場へ出て、竹刀を取ろうとすると、筆頭であるべき自分の物が一段下に下げられ、昨日まで自分のがあった場所に見慣れぬ竹刀が架けてあるのをみつけた。

「誰だ、こんなことをしたのは」彼は振返って叫んだ、「金五郎、この竹刀はどうしたんだ。……なぜ黙ってる、誰がしたんだ」

「そ、……それで宜いんですよ」

門人たちの雑用をする少年が怖々と答えた。

「なに、これで宜いんだと、馬鹿め、貴様なにを寝呆けているんだ、十六歳にもなって竹刀の順序も知らんのか、それとも……」

「そうだよ」滝川伝吉郎が意味ありげに立って来た。そして態と三郎兵衛の耳に口を寄せながら、「それで宜いんだよ金吾、その上の竹刀はそっとして置くがいい」

「はっきり云え、どうしたというんだ」

「その竹刀には触らぬ方がいい」

「そうだ、そうだ」

向うに並んでいる連中も、それにつけて一斉に云った。

「その竹刀に手を附けてはいけないぞ」

「手を触れば手、足を触れば足が飛ぶ」

「それだけはそっとして置くがいい」

三郎兵衛はぐるっと見廻した。……みんな何か意味ありげな攤ぐったそうな眼つきをしている、今まで感じたことのない空気だった。

「訳を云え、この竹刀がどうかしたのか」

「帰って来たんだよ」伝吉郎がさも秘密なことを明すように、耳へ口を寄せて囁いた、「与茂七が帰って来たんだ」

「何者だと?」

「与茂七だ、斎東与茂七が江戸から帰って来たんだ。貴公がいま『虎』と云われているように、彼は三年前まで進武館の『野牛』と云われていた、乱暴者で喧嘩早くて、高慢で癇癪持ちで、いちど怒らしたら血を見るまでおさまらぬという男だ。……いいか金吾」伝吉郎は一層その声をひそめて、「その竹刀は彼のだ、それに触ってはいけない、また彼が出て来たら温和しくするんだ、与茂七には構うんじゃないぞ」

「……そうか」

三郎兵衛はにやりと頷いた。……そして与茂七のだという竹刀を取ると、道場のまん中へがらがらと抛り出して叫んだ。

「誰でもいいから、与茂七という男が来たら拙者に知らせて呉れ、……それから、その竹刀に手を附ける奴は許さんからそう思え」

「会うことは出来ぬと仰せられます」

「どうしたんだ、御機嫌ななめか」

与茂七がけろりとした顔で云うのを、家扶の仁右衛門老人は気の毒そうに見て、

「御立腹ですぞ、なにしろ江戸の事は一々こちらへ通知が来ておりましたからな、一時は叔父甥の縁を切るとまでお怒りでございました」

「誰がそんな余計な世話をやいたんだ。江戸ではずいぶん慎んでいた積りだがなあ」

「貴方の慎むは当になりません、軽部様の腕を折ったり、御老職の玄関で三日も居据わったり、町人共と喧嘩をして七人も怪我をさせたり、牢役人に金を掴ませて罪人の首を斬ったり、……この仁右衛門が伺っただけでも、まだまだ数え切れぬほどございますぞ。これでは困ります、これでは御立腹が当然でござります」

「ちょッ、誰がそんな、そんな詰らぬ事を一々告げ口しおったんだ。……備後か」

「誰でも差支えございません。彦根に置いては駄目だ、江戸へ出して広い世間を見せたら、行状も改るであろうという思召でなすった事が、江戸へ出ても同様どころか輪を掛けたお身持ではござりませぬか、こんな有様では」

「いいよいいよ、もう沢山だ」与茂七は手を振りながら刀を引寄せた、「仁右衛門の小言を聴いたって仕様がない、御立腹なら押してお眼にもかかれまいが、……ではおまえから宜しく申上げて置いて呉れ、またお怒りの解けた時分に参上仕ると」

「貴方さえ御素行をお慎みになれば、お怒りは直ぐに解けまする」

「己だけ慎んだって仕様がないさ」与茂七は又けろりとして云った、「己だって山猫でも狼でもないから、相手なしに暴れる訳じゃないんだ、幾ら己が謹慎していようと思っても、側から馬鹿共が来て突つきたてるんだから仕様がない、それでも叱られるのはいつも己と決ってる、いつも己だ、……小さい時分からそうだった、誰かが泣くとそら与茂七、誰かが転ぶとそら与茂七、赤ん坊が泣いても己が腕でも捻じ上げたと思ってる。……これではとても凌ぎがつかないぞ仁右衛門」

「……なるほど、貴方様はいつも、お部屋にじっとしておいでなされましたからな」

仁右衛門は苦笑しながら首を振った。

「全くいつもいつもお机の前で、膝に手を揃えて御書見ばかりあそばしていましたからな、そんな言を云う世間は怪しからぬ次第です」

「もう宜いよ、饒舌っただけ損をした」

与茂七は立上って、尚も繰返して意見をする仁右衛門と共に玄関へ出た。

門を出て、さてどうしようかと迷っていると、いま登城するところと見えて、旧友の榊市之進が、下郎を従えて此方へ来るのをみつけた。……白く乾いた道に、陽はもうぎらぎらと強くなっている、市之進は扇を額にかざしているので、側へ近づくまで知らずにいた。

「やあ帰ったか、いつ?」

「昨夜だ、遅かったので何処へも挨拶に出なかったんだ。いま此処へ来たんだが、……到頭お出入り差止めを食った」

「そうだろう」市之進は笑いもせずに頷いた、「作左衛門殿は一徹人だし、貴公はまた、……いや、こんな話を今更したところで仕方がない、今日は早く下城するから拙宅へ来て呉れ」

「よし、鶏を二三羽つぶして行こう、江戸のまずい鶏には弱ったよ、酒を頼むぞ」

「相変らずだな」別れようとして市之進がふと、「これは念のために云って置くのだが、金吾の松子さんに婿が来たのを知っているか」

「……松子に婿が」

与茂七の額がすっと白くなった。……市之進はその白くなった額から眼を外らして、

「岡崎の大番頭の三男で三郎兵衛という、来てから一年とちょっとになるが、今ではすっかり進武館の筆頭を押えている、少し烈し過ぎるのが難だが頭も良いし、……金吾殿も松子さんも満足のようだ」

「そうか、……それは。いい婿がみつかって、よかったな」

「貴公も祝ってやるべきだな」

Q&Aコーナー

Q1: 山本周五郎はどのような作家ですか?

A1: 庶民や名もなき武士たちの哀歓を、温かい人間愛をもって描いたことで知られる大衆文学の巨匠です。その作風は多くの読者に支持され、数々の作品が映画化・ドラマ化されました。また、直木賞などの文学賞をすべて辞退したことでも有名です。

Q2: 山本周五郎の代表作には他にどのようなものがありますか?

A2: 黒澤明監督の映画でも有名な「赤ひげ診療譚」や「椿三十郎」の原作となった「日日平安」、そして「樅ノ木は残った」「さぶ」「季節のない街」など、数多くの傑作を残しています。

Q3: 「与茂七の帰藩」のテーマは何ですか?

A3: この物語は、若さゆえの傲慢さや未熟さ、そして武士としてのプライドがテーマになっています。自分と瓜二つのライバルとの対立を通じて、主人公が自身の姿を省み、本当の強さとは何かを見つめ直す過程が描かれています。

Q4: この作品はいつ頃書かれたものですか?

A4:「与茂七の帰藩」は、1940年(昭和15年)から1945年(昭和20年)にかけて執筆された短編の一つです。山本周五郎が作家として円熟期に入り、人間描写に深みを増した時期の作品と言えます。

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