伊勢屋稲荷に犬の糞
一つの町に、一〜三社あり、大名旗本豪商たちも邸宅に揃え、その数は数千に上ります。
そのせいか当初は農業の神だったお稲荷さんも、商売繁盛の神様になり町内安全のご利益も備えています。
まあなにわともあれ
江戸っ子にとって、もっとも身近な神様であったことは間違いないようです
お稲荷さんは結構厳しい
お稲荷さんは稲を荷なう
と書きます
やっぱり豊作の神様というのが根本です
農村からはじまり、都市部地芯に広まりましたが、その要因には、現世利益の神様だからだそう
お稲荷さんは、利益をもたらしますけど、契約を、しなければなりません
願い事を叶えてくれたら、鳥居をたてます!
契約を破ると罰が当たります
どんなに飢えても、お返しができるようになるまでは、稲荷神のお供え物は、けして食べるなと言われるほどで
お稲荷さんは無視をされるのが、非常にお嫌い。建てるのならば賑やかなところ。鳥居の前を通るなら、ペコッとお辞儀。
昔の人はみんなやっていたので、来日した外国人がふしぎがっていたそうです。
武家の神様
武家は屋敷神を大切にして、藩邸に祠を祀っています。
八幡様に毘沙門天、船の神様金比羅様
その縁日が月に一二度ありました。
縁日ですから、表門を開いて、おこわとお酒を振る舞いました。地域の住民だけでなく、誰でも入ることができました。
縁日をおさえておけば、毎日お酒を頂くことも可能だったわけです。
お賽銭のおかげで、出入りはトントンでした。
大名といえどもよそ者なので、地域に溶け込めるよう苦労もあったんですね。
藩主の奥方も、地元の娘さんを集めて、習い事を教えたり。
今はなき武家屋敷ですが、思いのほか、垣根は低いものでした。