ねじまげ世界の冒険 第三巻

 すでに刊行中のねじまげ世界の冒険 1~2

 

ねじまげ世界の冒険 書籍版

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 こちらの作品は、十年前に完結されています。

 この度、新選組八犬伝のからみで、書き改めるということになりました。なので、第三巻に相当する部分を、新連載として、公開することになりました。

 内容は、すでに発表したものとは、変わっていく予定です。後は、七味先生の執筆しだい。

 それでは、ねじまげ世界の冒険、第三巻、連載開始です!

 

第六部 ねじまげ世界の最終戦争

 章前 二〇二〇年 ――ねじまげ世界 八月十五日 午前九時四十五分

  竹村寛太、窮地をすくう

    一

 事の発端が利菜と紗英の到着にあるにせよ、寛太はそのときを、愛用のパジェロで迎えた。
 ヘッドレストに頭をもたげ、体側に両腕を垂らし、いびきをかいていた。そうして意識をなくしていたのだが、それが突然目を覚ましたのは、頭の奥がキインと鳴って、強い衝撃に体を揺さぶられたからだ。
 フロントガラスの向こうでは、朝日が斜めの線を描き水滴を輝かせていた。ボンネットには、厚く落ち葉が積もっている。まるで、何ヶ月もその場に停まっていたかのようだ。
 朦朧とする頭で、外によろめき出る。目の前にジャスコがあった。広い駐車場の中央に、たった一台で停まっている。年中無休の看板は、すでに降ろしたようだった。
 廃墟……という言葉が浮かんだ。閉鎖されてずいぶん経ったように見える。人気がないせいか、と思ったが、それだけではない。音がないのだ。いくら休日でも、周囲には住宅がある――
 住宅が、なかった。
 寛太は首を巡らしながら、歩き回る。ジャスコは神保町の、ほぼ中心にある。南には高速道路も通っているはずだが、それもなかった。ないというよりも、ぼんやりとかすんで、見えないのだ。
 よろめくと、パジェロの助手席にぶつかる。思考も言葉もなくし、寛太は口元を手で覆った。
 車に戻ろうとした、こんなことが続いたら、立っていられなくなるに決まっている。下手をすると、吐くかもしれない。
 シートに身を落ちつけて、ようやく言葉を口にする。
「ここは、どこなんだ?」
 駐車場にも、屋上に続くスロープにも、鎖がはってあった。
 いつジャスコに来たんだ、と寛太は考える。
 なぜ、こんなところで眠ってた? みんなどこに行ったんだ?
 町は、どこに行ったんだ?
「それとも、おれがどこかにきちまったのか?」
 その時、寛太の目線は、助手席に置かれた新聞に引きつけられた。なぜ、そこにあるのかわからない。車で読む習慣はないし、ただ、その新聞は奇妙だ。
 どこか、ちぐはぐしている。
 手にとってみる。答えがわかった。文字が左右逆転しているのだ。大昔の新聞みたいに、右から左にかかれている。古風なレトリックをつかっていて、読みにくいときたらなかった。
 じいちゃん、懐かしの古新聞があるぜ……と彼は考える。こんなときだが、寛太郎に無性に会いたかった。恐ろしいのは、すぐに会える気がすることだ。
「そんなはずない」
 寛太は頭をふって否定する。まだ死ぬべきときじゃない、と思った。
 おれが死んだら、佳代子や達郎たちはどうなる?
 寛太はわななく手を見つめた。
 情けない、しっかりしろと自分を激励しにかかったが、日付を見たとたんに、震えはいっそうひどくなる。目までかすんだようだった。
 解放三年、八月十四日――
「いたずらか?」
 笑おうとしたが、口元から上にはのぼらない。
 それに、今ここで、現実逃避するのはまずい。
 おれはおさそいに引っかかってる。きっと世界のねじまげに遭遇してる――
 わるいものの巣の中にいて、背中には死が貼りついているのだ。
 頬を撫でて、馬鹿みたいな笑みを引っこめた。
 記憶では、六月二十五日のはずである。新聞の日付通りなら、太一のやつは、夏休みじゃないかと寛太は考えた。
 それに、解放三年。
 なんだその年号は?
 急に思い出した。この日の朝、いつもの行商をおえて家に戻った寛太は、届いたばかりの新聞を助手席に投げ込んで、佳代子の使いで町にくりだしたのだ。
 恐ろしくなり、新聞を投げ捨てる。ポケットから携帯を取り出すが、指が震えてうまく押せない。
「くそ!」寛太は力任せにハンドルを殴った。「みんな、どうなっちまったんだ! 佳代子は、新治たちはどうなったんだ!」
 その瞬間、世界に存在するのが自分一人で、他の物は全て消えてしまった、という強迫観念に囚われた。
 携帯電話を耳に当てるが、鳴りもしない。電池は十分。なのに、通じない。
 寛太はゆっくりとハンドルに伏せた。首筋が固くなって軋む音までしそうである。泣いてすっきりしたかった。けれど、狂乱に陥るまえに、するべきことがある。
 新聞だ。
 その古風な新聞は、ずいぶんと彼の関心をひきつけた(引きつける要件は、十二分にありはしたが)。
 解放三年、八月十四日の新聞。
 寛太は四つ折りの新聞に、何度となく目を落とす。中身が気になって仕方がないのに、決して読みたくはないかのようだ。けれど、四つ折りの下部に見慣れた文字のいくつかを見つけると、そうもいっていられなくなった。そこには『神保町の兄弟、銃殺される』とあったからだ。新聞の第一面にあったが、小さな扱いの記事だった。寛太はそのコラムを、目に貼り付けんばかりにして必死に読んだ。ここはねじまげ世界かもしれないが、判読できることは幸いだ。
『徴兵拒否と国家侮辱(ぶじょく)罪により、逮捕された神保町の兄弟が、今日銃殺される。二人の自宅に赤紙が貼られたのは、当月の十四日である。同日未明、憲兵隊は、召集令状の受け渡しに向かったが、二人はその憲兵に反攻を企てるという暴挙をしでかした。』
「うそだろ……」
 今度こそ吐きそうになる。憲兵、召集令状、徴兵拒否――
「助けてくれ、じいちゃん……」
 これじゃあ、まるで戦時中の世界じゃないか!
 新聞を開き中をよく読もうとした。もっと情報が欲しい。寛太はあっと声を上げた。文字がかすんで消え始めたからだ。そして、特有でいて魅惑的なその紙に、新たな文字が浮かんでくる。
 ぼやけた文字がはっきりする。寛太は食いつくようにむさぼりよんだ。
 新たな記事では、達郎と新治がすでに処刑されたことになっていた。新聞の見出しは、太いゴシックで、『徴兵拒否の兄弟、処刑さる』と書かれている。
『千葉県神保町出身の尾上兄弟は、スパイ容疑が確定となり、当月十八日に銃殺刑となった。処刑されたのは、神保町野上在住の尾上達郎38と、同地区在住尾上新治37。同町出身の参議院議員、坪井善三氏は、この国家危急のおりに、非国民を故郷が生んだことに、遺憾の意を表明し……』
「坪井善三?」
 寛太は鼻で笑いながらつぶやいた。彼がその名を聞くのはずいぶんと久しぶりだが、何者であるかは覚えている。
 釈尊会の会長じゃないか、とひとりごちた。25年も前に死んだ男だ。そいつがよみがえった上に、新治と達郎の処刑に文句を垂れてるってのか?
「あの二人は死んでない、こんな記事はでたらめだ!」助手席に新聞を叩きつけた。「あいつらとは山に戻るてはずだったんだ! なのに何で今、死ななきゃいけない」
 世界はねじまげられている。どうやら、あの言葉は真実をかたっていたらしい。ずっと警告を発していたのだ。無意味な言葉でも、狂った脳みその発する戯(たわ)言(ごと)でもなかった。
「くそう。さっきまでは二人は死んでなかったじゃないか。なんでなんだ。この記事は――」
 現実なのか?
 寛太は、第一面をおおざっぱに読んだ。第三帝国が半島に進出した、とある。朝鮮半島の地図が載っていて、第三帝国と満州軍の戦闘の軌跡が、簡略化されて載っている。寛太は新聞を投げた。これが現実だとしたらえらいことだ。まるで、歴史が……
「ねじまげられたみたいじゃないか」
 とつぶやき、笑い声を上げる。
 ガタン、と枠の外れるような音がして、車体が揺れた。寛太は大口を開けたまま外を見た。
 タイヤが外れたのかと思った。
 車外に飛び出した寛太は、デパートの解体現場に出くわした。まるで、時計の逆回しのようだ。
 ジャスコの看板がとれ、塗装がはげおち、外壁がぞくぞくと消えていく。
 ジャスコの存在が、消えていく。
 寛太が尻餅をつくと、足下のアスファルトはみるみるうちになくなって、土の地面がむき出しとなった。ジャスコの上空には、真っ黒な渦が、雷を鳴らしながら出現し、もはや鉄骨をむき出しにしている建造物を、渦の中へと吸いとっていく。
 砂埃が猛然とわき起こる。周囲の並木が、根こそぎ吸い込まれていく。
 ズリズリという音にふりむくと、風の吸引力に耐えきれず、パジェロまで動きはじめている。
「くそったれめ!」
 寛太は怒りの声を上げて飛び乗る。扉をしめると、風が途絶えた。ゴオゴオといううなり音だけが轟き、車内を満たしている。
 キーを回すが、反応がない。
「くそ、かかれ、かかれ!」
 二度、三度と、セルがうなる。けれど、頭のどこかでは考えている。歴史がねじまげられたのなら、このパジェロだって存在しないことになる。
「そんなことない!」と彼は言った。「存在しろ! 主張しろ! こっちが本物なんだ! 負けるな! かかれ! かかれ!」
 エンジンの回転音は、さながら天使の祝福のようだ。寛太は諸(もろ)手(て)を打ったが、車体はまだ引きずられている、ケツを振って回転している。
 寛太はギヤをローにぶちこんで、アクセルをふんだ。タイヤが土をまきあげだした。車体が浮いて、地面をつかまえ切れないのだ。
 寛太はハンドルを猛烈にまわし、車体を無理矢理出口に向けていく。
 ふりむくと、サンルーフの向こうから自分を見下ろす渦(その渦を子どものころ、何度も見たことを思い出す)にむかって叫んだ。
「建物と一緒くたにするんじゃない、おれは人間なんだ! おれは全部覚えてるぞ! 元の世界を覚えてるぞ! ざまあみろ!」
 新治たちもだ。あの二人も、元の世界を覚えていたから、殺されるのだ。
「おれの仲間はみんな覚えてるぞ! おれたちがねじまげを食い止めたんだ! 今度だってやってやる! さあ、踏め! 地面を踏め! 進め、この野郎!」
 渦は寛太が嫌いらしい。吸引力はますます強まったが、パジェロは寛太の精神と呼応して、気合いと根性、ガッツをみせた。基本性能と、物理法則を、無視して働き、右に左にふられながらも、僅かだが出口に向けて進みはじめた。
 出口の鎖が引きちぎられ、パジェロめがけて飛んでくる。寛太はとっさに身を伏せる。その分厚い鎖はボンネットに打ち当たり、ランプを砕いてサイドミラーを破損させる。破片は、すぐさま渦に吸い込まれていった。
 ウオン、ウオオオン!
 そのエンジン音は、さながらパジェロのあげる抗議のようだ。
 確かな加速を感じたかと思うと、パジェロと寛太は、時間の逆行現象に逆らって、ジャスコの敷地を飛び出した。

 目の前に、柵があった。

「うわあああああ!」
 寛太は絶叫とともに、左にハンドルを切った。ブレーキもふみ、どうやらサイドレバーもひいたらしい。後になってみても、あの体勢でどうやってレバーを引いたのか、思い出すことはできなかった。ともあれパジェロは横転しかかりながらも、道の中央に留まることができた。
 外を見下ろすと、地面をかなり深くえぐっていたのでゾッとする。
 顧みると、もうジャスコはなかった。今度は、時の逆転現象が起こっていた。時間がみるみる進んでいく。ジャスコの跡地には、高い木塀と木造の屋敷が建っていく。恐ろしく滑らかな早回しだ。
 こんなふうに自動で建物ができあがるのを知ったら、新治と達郎はどう思うかなあ、と場違いなことを考えた。
 門ができあがった――かと思うと、その脇には看板が立ち、文字が浮かび上がってきた。大日本帝国憲兵本部……。寛太ははっとなった。憲兵と言えば、達郎たちを捕まえた連中である。
 門のあちこちで赤い点が浮かびはじめた。それはどんどん大きくなって炎をかたどり、門を包みこむ。大火災だ。憲兵本部は現れたばかりだというのに、炎に包まれ消え去ろうとしている。無音の中で、憲兵たちが門を開けだした。
 寛太は慌ててキーを回した。かかった。寛太は喜びを爆発させてハンドルを叩いた。ねじまげ世界に来ても、変わらずガッツのあるやつだ。
 ようやく、音が聞こえだした。時間に追いついてきた。ウーウーというサイレン音に、人のささやくような声がする。それはどんどん大きくなり、炎の風巻く音も混じり出す。
 ヒュルヒュルという笛の音。重い炸(さく)裂(れつ)音(おん)、悲鳴と怒号――
「なんてこった……」
 寛太は窓を下げた。憲兵たちは防空壕に逃げようとしているらしく、建物から人が飛び出してくるところだった。
 高速で飛び交う影に気がつき、窓から身を乗り出し、空を見上げる。爆撃機だ。巨大な編隊群である。そいつが胴を開け、何かが落ちてきた。
 焼(しよう)夷(い)弾(だん)だ。
「達郎!」
 と寛太は憲兵本部に向けて怒鳴る。憲兵たちがこっちを向いた。
「なんだあ、きさまは!」
 寛太はハンドルを支えに身を乗り出したまま、
「尾上達郎は!? 尾上新治はどうした!?」
「非国民など知るものか! どうせやつらは銃殺だ!」
 男の声の合間にも、棒状の焼夷弾が、火を噴きながら道に突き刺さる。もしくは、兵士の体に突き刺さり、燃え上がり始めた。
 憲兵本部は、さながら地獄絵図だ。焼夷弾は屋根をたやすく貫通して、内部に炎を振りまいている。
 あちこちから炎が噴き上がると、窓をつきやぶって人が出てくる。
「あいつら生きてるのか?」
 男の口ぶりから察するに、まだ銃殺は行われていないらしい。寛太は新聞に少しだけ目を走らす。
 こいつは、未来の記事なのか?
 寛太は体を引っ込めると、パワーウインドウを上げた。アクセルを踏み込むと、門の前にいた男たちが、あわてて飛び退いた。
 パジェロは門をくぐって、演習場を駆け抜ける。
 木造の平屋建ては火のまわりも早かった。これじゃあ、二人が生きていても、助けられない。
 助手席の新聞にちらりと目をやる。記事では、二人は銃殺されたことになっていた。火で焼け死ぬとは書いていない。だけど、
「おれはあの記事よりも過去にいるんだ」
 そうでなければ、二人が生きているはずがない。
 寛太は車を降りてドアを閉めた。炎の熱気が、彼をあぶる。
 吸いこむ息が、気管を燃やしている。
 憲兵本部は、この空襲で真っ先に狙われたらしい。手のうちようもない。憲兵たちは消火もせずに、我がちに逃げていく。
 寛太は煙に巻かれて咳きこんだ。逃げなければ焼け死ぬことを、冷静な本能が告げている。
「だけど、あいつらがいなきゃ、勝ち目がねえんだ……」
 と彼は言った。上着で口元を押さえると、憲兵本部に踏み込んだ。

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