第二章 旅の仲間
その一 虹の冒険号のクルーはいずこ?
1
洋一は、涙ぐみながら、ロープをつかんだ。地獄に降りた蜘蛛の糸にみえた。荒縄がぎしりぎしりと音を立てる。ロッククライミングの要領で、地上を目指し、一歩二歩。力強く踏み出したところで支えをなくし、真っ逆さまに岩場を転げ落ちていった。柔らかいナーシェルの体は骨折こそしなかったが、地面にたたきつけられ息が詰まる。
細めた眼に、蛇行しながら落ちてくるロープが見えた。
「そんな……」
洋一はロープをたぐり、先端を見た。
「切られてる……」
洋一は岩場から身を離し、より上を見ようとした。岩場に垂れたロープが次々と落ちてくる。
「誰か上にいる」太助の声も緊張に震えている。「これでは脱出できない。誰なんだ」
大人たちはみな、この地下にいる。洋一はナイフを抜いた。闇の騎士が今にも出てくるとおもった。
「だめだ、洋一」と太助が鋭く言った。「あいつらにかなうとは思えん。身を隠せ」
洋一は松明を捨て、濡れた岩場をはね飛びながら逃げた。地下の遺跡は何千年という年月でもはや形をなしていない。地に沈み、あるいは天蓋より落ちてきた岩に砕かれ、礎石が僅かに見えるていどだ。
「岩をのぼっても、挟み撃ちにされる」
弓で射られたら、とてもかわしきれない。ナーシェルが化け物みたいな身体能力の持ち主でも、これだけの高さを登り切れるとは思えなかった。洋一にはボルダリングの知識がまるでない。
倒れた石柱の陰に身を潜め、
「降りたのは失敗だった」と歯がみした。「ナーシェル本人じゃないんだから、儀式なんか受けなくて良かったんだ」
もはや後の祭りだろう。闇の騎士が二人、洞窟から出てくるのが見えた。全身に矢がつきたち、一人欠けたところをみると、オットーワイドらも一矢はむくいたにちがいない。
ちくしょう……
と洋一は復讐に燃えた。洋一はナーシェルではない。あの大人たちと暮らしてきたわけではない。でも、自分の生み出した人物たちだ。それが、全くのよそ者に無残に殺されてしまった。洋一は怒りに燃えて、太助の忠告も忘れてナイフへと手を伸ばした。
「洋一、洋一」
太助が耳たぶにしがみつき、耳の穴に向かってささやいた。
「なに?」洋一はいらだっていった。「なにかみつけたの?」
「声がするぞ。小さいが、誰か話してる」
「ぼくには聞こえない」洋一は騎士たちから眼を離した。「どこからするかわかる?」
太助が方向を指示した。洋一は太助がささやくままに、うんと身を低くして、移動をはじめた。上からは見えないよう注意をして。ほとんど四つん這いの姿勢で進んでいく。
「止まってくれ」
太助が背中を伝い、地面に降りた。洋一は太助の後について、背後を警戒しながら岩陰の窪みを降りていく。
太助はさらに下へとすすんだ。そこには小さな水溜と、モグラがあけたような小さな穴がある。太助はそこに立って、中に居る誰かと話をしている。
洋一が、地面に体がつくほど身をかがめると、息をのんだ。嫌悪に鳥肌が立ったのだ。穴の奥には、無数のネズミがひしめき合っていた。
やがて太助が振り向き、
「こいつら、ぼくを神様だといってる」
「わかるの?」
洋一は、神様のことより、言葉がわかることに驚いた。同時に暗澹たる気持ちになった。太助が本物のネズミになったと認めざるをえなかった。
言われてみると、太助は白ネズミで、穴の奥にいるネズミたちとは、体色がちがう。どうやらそれだけではないようで、
「神様、なぜ戻ってきたのかといってる」と太助。
「戻ってきた?」洋一はオウム返しに言った。「戻ってきた? 出て行ったってこと? こいつら、抜け道を知ってるのか?」
洋一は興奮して訊いた。
太助はもう少し話をし、
「わかったぞ」と振り向いた。「空から箱でおりてきたといってる」
「虹の冒険号のことだっ」
洋一は快哉をあげてから、しまった、と辺りを見回した。声をきかれたかと思ったのだが、それどころではない。周囲には何万というネズミが集まり、地面を埋め尽くしていたからだ。
太助はそのうちの幾匹かと、ネズミの言葉で交渉をした。
南の方角から、悲鳴が聞こえてくる。
「騎士たちの足止めをしてくれてる」
と太助は言った。たかがネズミとはいえ、何万匹といるのだ。人間相手よりもやっかいなはずだ。やがて、洞の中にいたネズミたちが移動をはじめた。
「こいつらについて行こう。虹の冒険号はここにある」
太助を肩に乗せて、ネズミの後についていきながら、洋一は首をかしげた。虹の冒険号が降りたのは、森の中だったはずだ。そんなところまて筋が狂ってしまったのかと、首をかしげたのである。
ともあれ燃料がつきて墜落した一行は、洞窟の中にまで落っこちてしまった。
口のうまいシングルハットは、何も知らないネズミたちを言いくるめて、神様だと信じこませた。地下を抜け出す方法を聞き出し、冒険号の荷物を運ぼうとしていたところだった。
そこへ闇の騎士があらわれて襲われてしまったのだ。
ゲバラガットの、暗殺にきた連中だろう。
ともあれ、ネッチたちはネズミの力をかりて、洞窟からの脱出に成功したのだった。
太助が言った。
「あのときぼくは――シングルハットは君の側にいた。君の側と言うよりも、この洞窟の近くにいたんだ」
「墜落してまもなくだったのか」
それなら作品の時間経過ともつじつまがあう。
虹の冒険号は、広場の中央あたり、平らな砂地のところに、やや傾きながら止まっていた。宇宙船なのに木製で、華やかな名に似合わずズングリした格好をしていた。亀の首のような形をしたブリッジが突き出ているが、そこが運転席となっていた。
右腹の格納庫の扉が開きっぱなしになっている。辺りには、冒険号に積載された荷物が散らばっている。
洋一は冒険号で逃げ出すことも考えたが、そもそもあれは燃料がない。冒険号をどうやって飛ばせばいいのかも知らなかった(そんな描写はしなかったからだが)。
虹の冒険号を確認したあと、二人はさらにネズミの後につき、洞穴の東へと移動していった。
西側からは、ネズミたちの悲鳴が聞こえる。騎士たちの怒声も。無数のネズミに襲われるなんて、想像するだけで吐き気がする。でも、あいつらはオットーワイドたちを無慈悲にも殺してしまったのだ。
「近づいてくる」
洋一は、焦ったが、同時に期待してもいた。方法はまだわからないが、ミッチとネッチが外に出たんだから。
「あったぞ、洋一」
太助が快哉をあげた。
子どものナーシェルでようやく這いこめる程度の穴があった。半楕円の形をしており、なんとなく死んだゲバラガットのぽっかりぬあいた口元を思い出した。ミッチとネッチは、ナーシェルと変わらないぐらいの体格だから、入ることはできただろう。
「ここをはっていくの?」
気の遠くなるような話だった。地上まで何キロあるかもわからない。どちらにしろ、松明を捨てたのは失敗だった。
太助が洋一の耳を引いて注意した。ネズミのとがった爪に耳たぶをつかまれて、洋一は短く悲鳴を上げた。みると、ネズミたちがひしめきあい、生きた絨毯をつくっているのである。
「あれに乗れ」
「ぼくを運ぶつもりなの?」
洋一は驚いたが、躊躇している暇はなかった。騎士たちの足音が靴音高く轟いてきたからだ。
洋一は両手をつくと、ネズミたちをつぶさないよう、仰向けに寝転がった。太助がへそのあたりにのる。背中では、ネズミたちのあったかな体が、洋一を支えている(尻尾は冷たいが)。まるで、マッサージ器みたいにうごめいている。
そのとき、騎士たちが駆けてくるのが、洋一にも見えた。周囲のネズミたちが駆け去った。背中の下で、生きた絨毯の動きが激しくなった。騎士たちが、身を投げ出して、腕をのばす。洋一は思わず身を返して逃げ出しそうになった。髪をつかまれる寸前に、洋一はまるで足下から引っこ抜かれたようにその場から姿をけしていた。
まさに間一髪のところで、洞穴に吸い込まれていったのだった。