最近の鉄砲伝来事情

慶長年間に書かれた鉄砲記には、こうある。1543年、100人あまりがのった外国船が、種子島南端に漂着した。船には三人のポルトガル人が乗っており、鉄砲の射撃を実演した。

領主種子島時尭は、これを買い取り、鍛冶職人に命じて、国産銃を製造した。

鉄砲伝来をしめす書物となったわけですが(二千両で購入したらしい)、鉄砲伝来より、六十年後に書かれた上に、先祖の功績をたたえる記述も散見されるため、資料としての価値は、いかがなものかと。

ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を売ったのは、事実らしいのですが、密貿易を主な生業としていた後期倭寇が、鉄砲を持ち込んでいたらしく、平戸藩史、という書物にも、鉄砲が使われたという記述があります。

鉄砲伝来は、九州や西国地方に、波状的に起こり、種子島は、その一つの事例に過ぎない、という説なのだとか。子供のころ、習ったのと、ちがうな?

種子島に流れ着いたのは、中国船であったらしく、それで言葉は通じないけど、筆談はできたんですね。

ポルトガル側にも記録があるので、これはまちがいないでしょう。火縄銃の他に、種子島、種子島銃とも呼ばれてますし。

日本に伝来した火縄銃は、東南アジアで改良されたものらしく、ヨーロッパで生産された火縄銃とは方式が違うものでした。瞬発式と呼ばれるもので、バネを用いることで、引き金を引けば即発射ができ、狙撃に向いていました。

ヨーロッパ式は、引き金と火縄のついたアームの動きが同時であり、ゆっくり引けばゆっくり動く方式で、発射まで少し時間がかかりました。そのかわり暴発が少ないなどの、メリットはあったようです。

ともあれ、伝来からわずか数年で量産をはじめて、商売にまでしちゃうところがすごいですね。

戦国末期には、50万挺以上が存在し、世界最大の鉄砲保有国になってしまったと。

江戸期の平安を得て、火縄銃は、所持移動を制限され、戦国期のような発展はなくなりました。ひそかに研究していた藩もあったようですが、戦争を得て近代化されたようしきじゅうには、かなわず、といったところです。

新選組八犬伝は、幕末の話しなので、新式銃が数多く登場しますが、冒頭でも、スナイドル銃が登場します。戊辰戦争でも、火縄銃は使われたようですが、その威力は、どの程度のものだったのでしょうか?

火縄銃の玉は、尖頭式でなく、丸いのですが、速射性こそ劣ったものの、鎧の鉄板はたやすく貫通し、現在の銃と比べても、同等か勝るほど。

ねじまげ物語の冒険でも、銃士と火縄銃が、登場しますが、その驚くべき威力が描かれています。

飛距離は約500メートル。有効射程は、50か〜100。熟練すれば、一分間に四発撃てたそうです。

施条(らせん状の刻み)が、ないため、弾丸は回転しませんが、戦国の世を終わらせただけはあります。

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