【朗読一人でドラマ】 山本周五郎『霜柱』【作業・睡眠用朗読】 読み手七味春五郎  発行元丸竹書房

山本周五郎『霜柱』

山本周五郎『霜柱』

山本周五郎が描く、人間の情念と葛藤の物語

厳冬の朝に立つ霜柱のように、研ぎ澄まされた武士の生き様が心を打つ。

物語の世界へようこそ!

オーディオブックチャンネルはこちら ≫

作品と作者について

「霜柱」とは

「霜柱」(しもばしら)は、山本周五郎による短編時代小説です。藩の家老である繁野兵庫と、彼が厳しく接する若い郡代支配・次永喜兵衛の間に繰り広げられる人間ドラマを描いています。喜兵衛は繁野の理不尽な叱責に耐えかねて辞職を考えるが、ある出来事をきっかけに繁野の抱える深い悲しみと自己犠牲の真意を知ることになります。この物語は、表層的な振る舞いの裏に隠された親心、そして人間の複雑な情念と生き様を、山本周五郎ならではの温かい眼差しで描き出しています。

作者:山本周五郎(やまもと しゅうごろう)

山本周五郎(1903年6月22日 – 1967年2月14日)は、日本の小説家。本名は清水三十六(しみず さとむ)。山梨県出身。生涯を通じて「山本周五郎」のペンネームで執筆活動を行い、時代小説、歴史小説、現代小説と多岐にわたる分野で活躍しました。庶民の哀歓、武士の生き様、人間の尊厳などをテーマにした作品を数多く生み出し、その多くが映画化やテレビドラマ化されています。代表作には『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『日本婦道記』などがあり、文学賞を辞退し続けたことでも知られています。その作品は、深い人間洞察と温かい眼差しに貫かれており、今日なお多くの読者に愛され続けています。

「霜柱」あらすじと主な登場人物

あらすじ

江戸から国許へ戻り、次永の家名を継いだ喜兵衛は、郡代支配という役職に就く。しかし、家老の繁野兵庫から連日、理不尽なほどの厳しい叱責を受け、喜兵衛は辞職を考えるほどに精神的に追い詰められていた。親友の石沢金之助に愚痴をこぼす中で、繁野にはかつて放蕩の末に勘当した息子・義十郎がいたという事実を知る。繁野の息子への深い愛情と、それゆえの苦悩。そして、その苦悩が喜兵衛への厳しい態度に繋がっていることを察した喜兵衛は、繁野の真意を理解しようと努める。ある雪の降る朝、喜兵衛が鶴来八幡社へと向かう途中、意外な形で繁野と再会する。そこで明かされる、繁野の決意と、親子の愛の真実とは……。研ぎ澄まされた武士の生き様と、親心の深淵を描いた感動的な物語。

主な登場人物

次永 喜兵衛(つぐなが きへえ)

主人公。江戸から国許へ来たばかりの郡代支配。繁野兵庫からの理不尽な叱責に苦悩するが、彼の真意を知ることになる。

繁野 兵庫(しげの ひょうご)

藩の老職(家老)。喜兵衛を厳しく小突くが、そこには深い理由が隠されている。

石沢 金之助(いしざわ きんのすけ)

喜兵衛の従兄弟であり友人。喜兵衛の相談相手となり、繁野の真意を推測しようと努める。

おかや

料理茶屋「雪ノ井」の女中。以前繁野家に奉公しており、繁野家の秘密を知る人物。

義十郎(ぎじゅうろう)

繁野兵庫の息子。放蕩の末に勘当された。物語の重要な鍵を握る。

「霜柱」物語と朗読

Q&Aコーナー

「霜柱」は、冬の寒さの中で地中の水分が凍りつき、地表を押し上げてできる現象です。脆くも見えるが、確かな力で地表を押し上げる姿は、物語の中で喜兵衛と繁野、そして義十郎の間に存在する、目には見えないが確固とした情念や葛藤、そして深い愛と自己犠牲の精神を象徴していると考えられます。

特に、物語の終盤で喜兵衛が「霜柱が立っていて、浮いた土が雪駄の裏にねばり着くため、歩くのにひどく骨が折れた」と描写される場面は、彼が直面している困難な状況と、それでも真実へと向かう彼の精神的な強さを表していると解釈できます。表面的な堅さの中に、内なる脆さや複雑な感情が隠されている登場人物たちの姿を、「霜柱」という自然現象に重ね合わせていると言えるでしょう。

はい、山本周五郎の作品では、登場人物が他の人物を親愛の情や、あるいは軽蔑の念を込めて、俗称や愛称で呼ぶ描写がよく見られます。特に、年老いた人物や身分の低い人物に対して、喜兵衛が「繁野のじじい」と内心で呼ぶような、やや乱暴ながらも人間味のある表現は、周五郎作品における人物描写の特徴の一つと言えるでしょう。

これは、登場人物の心情や関係性を読者に強く印象づける効果があります。表面的な言葉の裏に、複雑な感情や、ある種の親密さが隠されていることを示唆することが多く、物語に深みを与えます。喜兵衛が繁野に対して最初は反発しながらも、最終的には深い理解を示す過程で、この呼び方が彼の内面の変化を浮き彫りにしています。

この言葉は、物語の中で時岡八郎兵衛が喜兵衛に語るもので、山本周五郎作品全体に流れる人間観、人生観を象徴する重要なセリフです。

山本周五郎は、人間の感情や行動が単一の動機によってのみ動かされるのではなく、様々な感情や経験が複雑に絡み合い、変化していくものだと捉えていました。激しい憎悪であっても、それが人生のすべてを支配し続けることはなく、時間とともに薄れたり、他の感情に置き換わったりするという洞察が込められています。

この思想の背景には、周五郎が描く登場人物たちが、理想や建前だけでなく、現実の苦悩や弱さを抱えながらも、たくましく生き抜く庶民や武士である点が挙げられます。彼らは完璧な存在ではなく、矛盾や葛藤を抱えながらも、人間としての感情の幅の中で生きる姿が描かれています。この言葉は、そのような人間性の多面性、そしてどんな状況下でも生きることを選ぶ人間の強さ、あるいは諦念をも示していると言えるでしょう。単一の感情に囚われることの限界と、人生の複雑さを受け入れることの重要性を説いています。

© 丸竹書房

最新情報をチェックしよう!