活き仏
野村胡堂
一
「親分、面白くてたまらないという話を聞かせましょうか」
ガラッ八の八五郎は、膝っ小僧を気にしながら、真四角に坐りました。こんな調子で始めるときは、お小遣をせびるか、平次の智恵の小出しを引出そうとする下心があるに決っております。
「金儲けの話はいけないが、その外の事なら、大概我慢をして聴いてやるよ、惚気なんざいちばんいいね――誰がいったいお前の女房になりたいって言い出したんだ」
銭形平次――江戸開府以来の捕物の名人と言われた銭形平次は、いつもこんな調子でガラッ八の話を受けるのでした。
「そんな気障な話じゃありませんよ。ね、親分」
「少し果し眼になりゃがったな」
「音羽の女殺しの話は聴いたでしょう」
「聴いたよ。お小夜とか言う、良い年増が殺されたんだってね、――商売人上がりで、殺されても不足のねえほど罪を作っているというじゃないか」
二三日前の話でしょう、平次はもうそれを聴いていたのです。
「商売人上がりには違えねえが、雑司ヶ谷名物の鉄心道人の弟子で袈裟を掛けて歩く凄い年増だ。殺されたとたんに紫の雲がおりて来て、通し駕籠で極楽へ行こうという代物だからおどろくでしょう」
「なるほど、話は面白そうだな。もう少し筋を通してみな」
平次もかなり好奇心を動かした様子です。
「鉄心道人のことは、親分も聴いているでしょう」
「大層あらたかな道者だって言うじゃないか。やっぱり法螺の貝を吹いたり、護摩を焚いたりするのかい」
「そんな事はしねえが、説教はする。八宗兼学の大した修業者だが、この世の欲を絶って、小さい庵室に籠り、若い弟子の鉄童と一緒に、朝夕お経ばかり読んでいる」
「で?」
「それで暮しになるから不思議じゃありませんか。ね、親分」
「…………」
平次は黙ってその先を促しました。合槌を打つとどこまで脱線するかわかりません。
「もっとも信心の衆は、加持祈祷をして貰ったと言っちゃ金を持って行く。が、鉄心道人はどうしても受取らねえ。罰の当った話で」
「そう言う手前の方がよっぽど罰当りだ」
「米や味噌や、季節の青物は取るそうだからまず命には別条ない――」
「それからどうした」
八五郎の話のテンポの遅さにじれて、平次はやけに吐月峰を叩きました。
「だから、音羽から雑司ヶ谷目白へかけての信心は大変なものですよ。あの辺へ行ってうっかり鉄心道人の悪口でも言おうものなら、請合い袋叩きにされる」
「で――」
「お小夜の殺された話は、鉄心道人の事から話さなくちゃ筋が通りませんよ。何しろ、明日という日は鉄心道人の庵室へ乗り込んで、朝夕の世話をすることになっていた女ですからねエ」
「梵妻になるつもりだったのかい」
「とんでもない。鉄心道人の教えでは、女犯は何よりの禁物で、雌猫も側へは寄せない」
「お小夜は雄猫と間違えられた」
「冗談じゃない、――多勢の弟子の中から選ばれて、道人の側近く仕えながら、朝夕教えを聴くことになったんだから大したものでしょう」
「それから」
「明日はいよいよ音羽から雑司ヶ谷中の信者総出で、お小夜を庵室に送り込もうという矢先、肝腎のお小夜が脇差でなぶり殺しにされたんだから騒ぎでしょう」
「なぶり殺し?」
「十二三ヶ所も傷があったそうだから、なぶり殺しに違いないじゃありませんか。よほど深い怨みがあったんでしょう」
「急所を知らないんで、無闇矢鱈にきったかも知れないな」
「でも、下手人は武家らしいという話ですぜ」
「武家?」
「お小夜が勤めをしている頃の深間で、浅川団七郎という弱い敵役みたいな名前の浪人者があったんですって」
「フム」
「その浪人者が、チョイチョイお小夜のところへ来たんだそうで、――米屋の越後屋兼松が、お小夜の家で三度も逢っていますよ」
「それで」
「お小夜が殺されてから姿を見せないところを見ると、その野郎が一番怪しくなります」
「お小夜は綺麗な女だったのかい」
平次は話題を転じました。
「綺麗というよりは凄い女でしたよ。あっしの逢ったのはもう三年も前だが――」
ガラッ八は話しつづけました。
お小夜は三年前まで三浦屋でお職を張っていたのを、上野の役僧某に請出されて入谷に囲われ、半年経たないうちに飛び出して、根岸の大親分の持物になりましたが、そこも巧みに後足で砂を蹴って、千石取の旗本某の妾になり、三転四転して、有名な立女形中村某の家の押掛女房になったりしていました。
そんな事も、長く続いてせいぜい半年くらい、鮮やかに転身して、音羽に世帯を持ったのはこの春あたり。しばらくは、下女一人猫の子一匹の神妙な暮しをつづけているうち、いつからともなく鉄心道人のところに通い始め、紅も白粉も洗い落して、半歳余りの精進をつづけた後、鉄心道人にその堅固な信心を見込まれ、薪水の世話をするために、別棟ながら、道人の起居する庵室に入ることになったのです。
「ね、親分。勿体ないじゃありませんか」
八五郎はこう言って、額を叩くのでした。
「勿体ないって奴があるかい」
「とにかく、三浦屋のお職まで張った女が、袈裟を掛けて数珠を爪繰りながら歩くんだから、象の上に乗っけると、そのまま普賢菩薩だ」
「いい加減にしないかよ、馬鹿馬鹿しい」
「色白で愛嬌があって、こう下っ脹れで眼の切れが長くて、唇が真っ紅で――好い女でしたよ、親分。その熟れきった良い年増が、庵室に入っていよいよ尼さんの玉子になろうという前の晩、滅茶滅茶に斬られて死んだんですぜ。こいつは近頃の面白い話じゃありませんか、御用聞冥利、ちょいと覗いてみませんか、親分」
ガラッ八の八五郎は生得の順風耳を働かせて、江戸中からこんな怪奇なニュースを嗅ぎ出して来ては、親分の平次の出馬をせがむのでした。
二
「玉の輿の呪い」以来、平次の腕に心から推服している三つ股の源吉は、このお小夜殺しをすっかり持て余してしまって、五日目には平次のところへ助け舟を求めに来たのでした。
「銭形の親分、俺にはどうも見当が付かねえ。十手捕縄を預かって、そんな事を言っちゃ、お上に対しても済まねえわけだが、縄張のうちに殺しがあるというのに、五日も経って下手人の匂いのあるのさえ挙げ兼ねたとあっちゃ、俺の顔が立たねえ。済まねえが智恵をかしてくれないか」
他の御用聞と異なって、銭形平次なら、無暗な功名争いをするはずもなく、三つ股の源吉の顔の潰れないように、一件を始末してくれるだろうと思ったのです。
「いいとも、俺で役に立つ事なら」
銭形平次は何の蟠りもなく御輿をあげました。
源吉に案内させて、八五郎と一緒に音羽へ行ってみると、何もかも済んだ後で、銭形平次でも手の付けようはありません。
お小夜の家はもとのままですが、たった一人の下女のお米は調べが済むまで里へ帰すこともならず三毛猫と一緒に淋しく暮しております。
「お前の家はどこだえ」
「厚木在だよ」
平次の問いに対して、妙に怒っているような調子です。年頃は十八九、番茶なら少し出過ぎたくらいですが、むくつけき様子を見ると、江戸へ来て、まだ三月とは経っていないでしょう。
「あの晩どうしていたんだ」
「風呂へ入って来て、御新造さんへ声を掛けて寝ただ。翌る朝お隣の皆次さんに、雨戸が開いているぞと声を掛けられて、びっくりして飛び起きて見ると、御新造さんは殺されていたでねえか」
むくつけき娘ですが、相模言葉ながら、思いの外達弁にまくし立てます。
「風呂から帰って声を掛けたとき、返事がなかったのか」
「よく眠っているべえと思っただよ」
「そのとき雨戸は閉っていたのかい」
「私はお勝手から入ったから、御新造さんの雨戸は知らねえよ」
それでは何にもなりません。
「日常、ここへ出入りするのはどんな人たちだ」
「お隣の皆次さんと――これは紙屋さんだよ。地主の寅吉さんと、庵室の鉄童さん、それから米屋の兼松旦那、もっとも米屋の旦那は滅多に来ねえだよ」
「それっきりか」
「もう一人、御浪人の浅川団七郎とかいう人がときどき来るが、おらは後ろ姿しか知らねえだよ」
「よしよし、そんな事でたくさんだろう」
平次はそれ以上を聴こうともしません。
「いちばん繁々通うのは誰だい」
ガラッ八は後ろから口を出しました。
「地主の寅吉とかいう男だ。訊かなくたって解っているよ」
平次は一番先に寅吉を挙げた下女の言葉の調子から、そのくらいのことは判断している様子です。
「お小夜が殺された晩、誰も来なかったかい」
とガラッ八。
「地主の寅吉旦那が来ただよ、話がこんがらかった様子で、御新造さんと何か言い合っていただが――おらは御新造さんにせき立てられて、表の湯屋へ行ってしまったから、どう納まったか後は知らねえ」
平次はそれを聴くと後ろをふり向きました。三つ股の源吉はその寅吉を縛らずにいるはずはないと思ったのです。
「寅吉は一応引立ててみたが、どうしてもお小夜を殺したとは言わねえ、――盗られた物はなし、寅吉より外に、下手人の匂いのするのもないが」
源吉はすっかり投げております。
「浅川団七郎という浪人者は」
「そいつはまるで雲を掴むような話だ。お小夜のところへ来る時は、大抵頭巾を冠っていたそうだし、お小夜はおくびにも出さなかったから、どこに住んでいるか、まるっきり見当がつかねえ。越後屋の主人が確かに顔を見たと言っているが、色白で四十前後で、ベットリと濃い青髯の跡のある、とだけじゃ――そんな浪人者は江戸に何百人いるか解らない」
三つ股の源吉の言うのは尤もでした。
「八、こいつは思ったよりむずかしいぜ。当分神田へ帰らねえことにして、音羽へ泊り込むとしようか」
銭形平次がそんな事を言うのですから、よくよくの難事件と見込んだのでしょう。