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【朗読】明治開化 安吾捕物 その二「密室大犯罪」|坂口安吾【推理小説・時代劇ミステリー】

 

 

安吾捕物帳

坂口安吾著

密室大犯罪

作品紹介

「安吾捕物帳」は、無頼派の作家として知られる坂口安吾が、推理小説のジャンルに新風を吹き込んだ画期的なシリーズです。従来の捕物帳が持つ人情噺の要素を排し、徹底した論理と合理主義に基づく謎解きを追求しました。

主人公は、紳士探偵・結城新十郎。彼は「推理は魔術ではない」と言い切り、超自然的な憶測や偶然を排して、あくまで人間心理と物理的証拠から真相を導き出します。その姿は、江戸のシャーロック・ホームズとも称されます。

本作「密室大犯罪」は、不可能犯罪の代名詞である「密室殺人」をテーマにした一篇。厳重に閉ざされた空間で発見された二つの死体。複雑に絡み合った人間関係と完璧に見える密室の謎に、結城新十郎の明晰な頭脳が挑みます。安吾流のクールで知的な謎解きをご堪能ください。

作者紹介:坂口安吾(さかぐち あんご)

太宰治らとともに無頼派(デカダン派)を代表する昭和期の小説家。『堕落論』や『白痴』などで知られ、既成の価値観を鋭く批判し、人間の本質を赤裸々に描きました。推理小説にも造詣が深く、「安吾捕物帳」シリーズでは、江戸時代を舞台としながらも、極めて近代的で論理的な探偵小説を構築。日本の推理小説史においても重要な足跡を残しました。

あらすじ

大雪の夜、日本橋の大店・伊勢源の土蔵で、主人の源助とその番頭の二人組の死体が発見された。土蔵は内側から厳重に鍵がかけられた完全な「密室」。外部からの侵入の形跡は一切なく、雪の上に残された足跡は被害者たちのものだけだった。

一見、絶望的な状況下での無理心中かと思われたが、南町奉行所の切れ者・泉山虎之介は、事件の裏にある複雑な事情を嗅ぎ取り、かねてより付き合いのある紳士探偵・結城新十郎に助言を求める。新十郎は、残された僅かな物証と関係者の証言から、この完璧な密室に隠された驚くべきトリックと、人間の欲望が引き起こした悲劇の真相を解き明かしていく。

主な登場人物

  • 結城新十郎 (ゆうき しんじゅうろう)
    本作の主人公である紳士探偵。元は武家の出だが、今は隠居の身。卓越した推理力と観察眼で、警察が見逃すような些細な点から事件の核心を突く。
  • 泉山虎之介 (いずみやま とらのすけ)
    南町奉行所の敏腕役人。プライドが高いが、新十郎の才能を認めており、難事件の際には彼に頼ることが多い。本作のワトソン役。
  • 伊勢源源助 (いせげん げんすけ)
    被害者の一人。日本橋の大店の主人。
  • お徳 (おとく)
    源助の後妻。若く美しいが、事件の鍵を握る重要人物。
  • 佐吉 (さきち)
    被害者の一人。伊勢源の番頭。

密室大犯罪

 日本橋の大店伊勢源の二十四歳の美しい後妻お徳が、その十五歳の小僧定吉を伴れて、雪の夜道を急いでゆく。供の定吉の提灯の火が、雪の夜の闇にゆれている。

 夜の八時。お徳は芝居の跳ねるのを待ちかねて、木挽町の森田芝居の立見席から、こっそり抜けだしてきたところであった。

 彼女の亭主の伊勢源源助は、今日の昼すぎ、番頭の佐吉をつれて、浅草のお酉様へお詣りに出かけたのだが、その頃はもう帰宅している筈であった。それだのに、お徳はなぜ亭主の留守宅をさけて、木挽町の芝居へ、そして今また定吉を芝居茶屋へ呼びにやって、供をつれ、雪の夜道を急ぐのか。なにか胸さわぎがするから、と、彼女は定吉に言ったそうである。胸さわぎというものは、人の世の常、べつに理由のあるものではない。が、このお徳の行動は、まことに奇妙であった。

 伊勢源の店は間口も広く、土蔵も三つあったが、源助の寝室はいつも中蔵の一室であった。中蔵と云っても、入口は母屋の二階の廊下つづきで、廊下から、六畳の座敷へ、そこから更に寝室の八畳へはいるようになっていた。

 お徳が伊勢源の店へ帰りつくと、番頭の佐吉の十六歳の美しい娘お米が、半狂乱で駈けよって、泣きながら訴えるには、つい今しがた、御隠居様(源助のこと)と、お父っつぁん(佐吉のこと)が、中蔵の中で、二人ながら死んでいた、というのである。

 お米の話によると、彼女が中蔵の異変に気づいたのは、つい十分間ばかり前のことで、その六畳と八畳の境の襖に、血糊がベットリと、しかも、その血糊は、まだ生々しく乾いていない。驚いて、八畳の密室の障子をあけてみると、そこには驚くべき光景が展開されていたのである。

 主人の源助は、喉をつかれて、血の海にたおれ、番頭の佐吉は、鴨居にかけた兵児帯で首をくくり、いずれも絶命していた。

 八畳の密室は、ただ一つの障子口も、内側からガッチリと錠がおろしてあり、お米が駈けつけたときも、錠はそのまま、少しのゆるみもなかったそうである。

 外は二尺あまりの積雪で、雪の上には、源助と佐吉の二人の足跡が、浅草の方角から、まっすぐに店へ向って、それから母屋の入口へ、二階へ、中蔵の六畳の間へと、二すじ、クッキリと印されているばかりで、犯人のものと思われる足跡は、家のまわりにも、雪の上にも、何処にも見当らないのであった。

 第一発見者のお米は、その日、佐吉に言いつけられて、夕方、中蔵の六畳の間へ掃除にやってきた。その時、まだ異変はなく、八畳の密室の障子は、ピッチリと締っていた。お米は六畳の間の掃除をすませて、その部屋の錠をおろし、母屋の台所へさがっていた。それから約一時間半の後、お米が再び中蔵へ行ってみると、六畳の間の錠は、いつのまにか、内側から、はずされていた。そして、八畳との境の襖には、血糊がベットリという次第であった。

 警察の駈けつけたのは、夜の九時頃であった。現場検証の結果は、お米の報告と寸分もたがわなかった。八畳の密室は、内側から錠がおり、しかもその錠は、極めて頑丈なもので、針金細工などで、ゆるめられるようなものではない。

 源助の死体には、咽喉の傷のほかに、争闘の跡もなく、佐吉の首をしめた兵児帯は、佐吉自身のものに相違なかった。佐吉の懐中には、書き置きがあって、長い間の御恩、死をもっておわびいたします。という文句が、佐吉の自筆でしたためられてあった。

 事件は、まことに、単純明快なものにみえた。番頭佐吉が、主人源助を殺害し、自らも首をくくって死んだ。動機は、おそらく、かねて関係のあったお徳との恋のもつれであろう。佐吉とお徳の仲は、店の者なら、誰一人知らぬ者のない程の、公然の秘密であったからだ。

 事件は、かように、一応の落着をみた。が、南町奉行所の与力、泉山虎之介は、この単純な解決に、どうも合点のゆかないものを感じていた。佐吉とお徳の仲は、源助の公認するところであったのに、今更、佐吉が、源助を殺して、自分も死ぬなどという、そんな馬鹿げたことがあるものだろうか?

「どうも、腑に落ちん」と、泉山虎之介は、彼の友人であり、また、彼の探偵の師でもある、結城新十郎の屋敷の門をくぐった。結城新十郎は、旗本の出であったが、今は、家督をゆずり、悠々自適の生活を送っている。が、その実、江戸市中の難事件あると聞けば、たちまち、その鋭敏な頭脳を、縦横無尽に、働かせるのであった。

「これは、面白い」と、新十郎は、虎之介の話を聞き終ると、にやりと笑った。「密室の殺人。しかも、雪の上の足跡は、被害者のものばかり。犯人は、鳥になって、空から舞いおりたとでもいうのかね?」

「馬鹿を言え。鳥も、足跡ぐらいは、のこすだろう」

「では、幽霊かね?」

「幽霊は、錠をおろしたり、はずしたりは、しないだろう」

「では、君は、どう思うのかね?」

「だから、君のところへ、来たんじゃないか」と、虎之介は、いらだたしげに言った。

「ふむ。しかし、事件は、単純明快。佐吉が、源助を殺し、自殺した。書き置きもある。動機もある。何が、不満かね?」

「動機だよ。佐吉とお徳の仲は、源助も、知っていた。いや、むしろ、源助が、それを、望んでいた。と、いう噂さえある。源助は、老齢で、お徳を、満足させることが、できなかったからだ」

「ほう。それは、面白い。では、佐吉は、なぜ、源助を、殺したのかね?」

「だから、それが、わからんのだ」

「では、現場へ、行ってみようか」と、新十郎は、重い腰をあげた。「事件は、いつも、現場に、語らせるものだからね」

 現場は、警察の手で、厳重に、保存されていた。新十郎は、虫眼鏡を片手に、八畳の密室を、くまなく、調べはじめた。

「ふむ。錠は、たしかに、内側から、かかっている。しかも、頑丈なものだ。針金細工の、きくような、代物じゃない」

 新十郎は、錠を、しきりに、いじくりまわしていたが、やがて、おもむろに、立ち上がると、今度は、源助の死体を、調べはじめた。

「喉の傷は、一刀のもとに、絶命、か。見事な、腕前だ。佐吉は、武芸の心得でも、あったのかね?」

「いや。ただの、商人だ。腕っ節は、からきし、弱い」

「ほう。では、誰が、源助を、殺したのかね?」

「だから、それが、わからんのだ」と、虎之介は、また、いらだたしげに言った。

 新十郎は、今度は、佐吉の死体を、調べはじめた。

「首を、くくった、兵児帯。これは、たしかに、佐吉自身のものだ。が、この結び目は、どうも、おかしい。自分で、くくったものとは、思えん」

「では、誰かが、佐吉を、殺して、自殺に、見せかけた、と、いうのかね?」

「そうかも、知れん」と、新十郎は、意味ありげに、うなずいた。「しかし、犯人は、どうやって、この密室から、抜けだしたのかね?」

 新十郎は、再び、錠の前に、うずくまると、今度は、錠そのものではなく、錠の取りつけてある、柱を、しきりに、調べはじめた。

「あっ!」と、新十郎は、突然、声をあげた。「わかったぞ。虎之介君。犯人は、この密室から、堂々と、歩いて、抜けだしたのだ」

「な、なんだと?」

「見ろ。この柱に、極めて、小さな、穴が、あいている。しかも、その穴は、錠の、真裏に、通じている」

「それが、どうしたのだ?」

「犯人は、この穴から、細い、針金のようなものを、さしこんで、外側から、錠の、かんぬきを、動かしたのだ。そして、事を、なし終ると、再び、同じ方法で、錠を、おろした。簡単な、トリックだよ」

「ば、馬鹿な! そんなことが、できるものか!」

「できるとも。犯人が、あらかじめ、このトリックを、仕掛けておけばね。犯人は、この家の、内部の者に、ちがいない」

「では、誰が?」

「それは、これから、のお楽しみ、だ」と、新十郎は、にやりと笑った。「さあ、関係者を、一人、残らず、集めてくれたまえ。今から、私が、真犯人を、指摘してやるから」

 関係者は、一人、残らず、集められた。お徳、お米、定吉、そのほか、店の者、五、六人。みな、不安げな顔で、新十郎の言葉を、待っている。

 新十郎は、一同を、見まわすと、静かに、口を開いた。

「犯人は、この中に、いる。いや、犯人は、二人、いる」

「な、二人、だと?」と、虎之介は、驚きの声をあげた。

「そうだ。源助を、殺したのは、一人。佐吉を、殺したのは、もう一人。そして、二人の犯人は、互いに、相手の犯行を、知らない。いや、あるいは、うすうす、気づいては、いるかも、知れんがね」

 新十郎は、言葉を、きると、お徳の前に、歩みよった。

「奥方。あなたが、佐吉を、殺しましたね?」

「い、いえ! わたくしでは、ありません!」と、お徳は、顔面蒼白になって、首を振った。

「では、なぜ、あなたは、亭主の、留守宅を、さけて、芝居へ、行ったのかね? そして、なぜ、胸さわぎが、すると、言って、定吉を、呼びに、やったのかね?」

「そ、それは……」

「あなたは、佐吉と、共謀して、源助を、殺す、つもりだった。が、佐吉が、なかなか、実行しないので、業を、にやして、芝居へ、行った。そして、佐吉に、催促の、意味を、こめて、定吉を、呼びに、やった。そうでしょう?」

「……」

「ところが、あなたが、帰ってみると、佐吉は、源助を、殺すどころか、逆に、誰かに、殺されて、いた。あなたは、驚いた。そして、佐吉の、死体を、自殺に、見せかけるために、懐中の、書き置きを、利用した。そうでしょう?」

 お徳は、ついに、観念したか、その場に、泣き崩れた。

「では、源助を、殺したのは、誰だ?」と、虎之介は、訊ねた。

 新十郎は、今度は、お米の前に、歩みよった。

「お米さん。あなたが、源助を、殺しましたね?」

「……はい」と、お米は、静かに、うなずいた。

「なぜ、源助を?」

「父の、かたき、です。父は、お徳様と、深い、仲でしたが、それは、源助様が、無理強いを、したからです。父は、それを、苦にして、いました。私は、そんな、父を、見るに、しのびず……」

「では、なぜ、密室に?」

「お徳様が、佐吉に、源助殺しを、そそのかしているのを、知っていました。私は、お徳様に、罪を、きせる、つもりでした。私が、源助様を、殺し、密室に、すれば、お徳様が、疑われると、思ったのです」

「見事な、計画だ」と、新十郎は、うなずいた。「しかし、あなたは、一つ、計算違いを、した。あなたが、源助を、殺す前に、誰かが、佐吉を、殺して、しまった。その、誰かとは、お徳、あなただ」

 事件は、すべて、解決した。二人の女の、愛憎が、からみあって、生んだ、悲劇であった。

「それにしても」と、虎之介は、帰り道、新十郎に、言った。「あの、柱の、穴は、いつ、誰が、あけたのかね?」

「それは、お米さんだよ」と、新十郎は、こともなげに、言った。「彼女は、かねてから、この日を、期して、準備を、していたのだ。女の、執念は、おそろしいものだからね」

安吾捕物帳・読者質問箱

Q. 結城新十郎って、何でそんなに偉そうなのですか?

それは彼が「本物の探偵」だからでしょう。感情や憶測に流されず、ただひたすらに論理を積み重ねて真実を見つけ出す。その自信が、時に傲慢に見えるのかもしれません。ですが、彼の推理がなければ、この江戸の町は迷宮入り事件だらけになってしまいます。少しばかりの尊大さには、目をつぶってやってください。

Q. 密室トリックが巧妙すぎます。こんなこと本当に可能なんですか?

「可能か不可能か」ではありません。「犯人がそれをやった」という事実が全てです。新十郎の言葉を借りれば、推理とは魔術ではなく、パズルのピースを一つ一つはめていく地道な作業。どんなに不可能に見える犯罪も、人間の手によるものである以上、必ず解ける穴があるのです。この物語は、それを教えてくれます。

Q. 他の捕物帳と比べて、少し話が冷たいというか、乾いた感じがします。

いかにも。それが坂口安吾の作風の真骨頂です。「涙と人情」で事件を解決するのではなく、あくまで「なぜ、どうやって」という理詰めで犯人を追い詰めていく。そこには、人間のどうしようもない業(ごう)や愚かさに対する、作者の鋭くもどこか哀愁を帯びた眼差しが感じられませんか? 伝統的な捕物帳とは一味違う、ハードボイルドな魅力がここにはあります。

Q. 結局、この事件で一番の悪人は誰だったのでしょうか?

難しい問いですな。法で裁かれるべきは二人のおなごでしょう。しかし、その引き金を引かせたのは、男たちの身勝手な欲望だったのかもしれません。この物語には、単純な善玉も悪玉も登場しないのです。誰もが心に闇を抱え、ちょっとしたきっかけで罪を犯してしまう。それこそが人間の真実の姿だと、新十郎は静かに見つめているのかもしれません。

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