丸竹書房MARUTAKE SHOBO

2025.11.25

納言恭平著 七之助捕物帳 『第三十九巻、裏店仁義』  ナレーター七味春五郎 発行元丸竹書房

 強欲で知られる高利貸し「こぶ万」のもとに届いた一通の脅迫状。
 人質に取られたのは、愛妾が可愛がっている「三毛猫」

「身代金五十両を出さねば、猫の耳と尻尾を切り落とす」

 世間体を気にするこぶ万から内密の依頼を受けた御用聞き・七之助。
 たかが猫泥棒と侮るなかれ。
 裏には、江戸の貧しい裏長屋に生きる人々の、切なくも温かい「嘘」が隠されていたのである——

[immersive_reader]{“title”: “七之助捕物帳 裏店仁義”,”author”: “納言恭平”,”synopsis”: “強欲で知られる高利貸し”こぶ万”のもとに届いた一通の脅迫状。\n人質に取られたのは、愛妾が可愛がっている”三毛猫”\n\n”身代金五十両を出さねば、猫の耳と尻尾を切り落とす”\n\n世間体を気にするこぶ万から内密の依頼を受けた御用聞き・七之助。\nたかが猫泥棒と侮るなかれ。\n裏には、江戸の貧しい裏長屋に生きる人々の、切なくも温かい”嘘”が隠されていたのである——”,”authorProfile”: {“name”: “納言恭平”,”desc”: “江戸の市井に生きる人々の機微や、粋な会話劇を交えた捕物帳を得意とする作家。その作品は、単なる謎解きに留まらず、事件の裏にある人間の哀しさや滑稽さを描き出すことで、多くの読者から支持を得ています。\n\n”七之助捕物帳”シリーズは、その代表作として知られ、型破りな御用聞の活躍を通して、江戸の光と影を鮮やかに描き出しています。”},”chapters”: [{“title”: “猫質”,”content”: “”なに、一寸した探しもんですがね”\n 秋晴れのひるちかく、庭先に石燈籠なぞをあしらった成金趣味の座敷で、花川戸の御用聞七之助と向い合っているのは、耳のうしろに慾のかたまりみたいなこぶをくっつけているので、こぶ万の異名を以てよばれているお玉ヶ池の万五郎という高利貸。\n”そんな他愛もねえ探しもんなら、地元の親分にお頼みなすったら”\n”ところが、あっしゃなんでござれ、江戸第一と折紙つきのもんでなくちゃ承知できねえ性分の男でがしてな。口はばったいようだが、金貸しのうでにかけては、あっしも江戸第一と思うとりやす”\n”そのかわり、あっしの詮議料は高いかも知れやせんぜ”\n 七之助は笑った。こぶ万は、平手で顔をしごき下してうろばいを隠しながら、\n”な、なに、そりゃあかまいやせん。あっしゃ金を持っとりますからな。……しかし、惜しまないが、理由のない金は一文だって出さねえという流儀なんですよ。物には相場というものがあるわけですが、お礼のところは、いったいどのくらい差し上げたらよろしゅうがしょうか”\n”一概には言えませんな。他愛もねえように見えても案外に骨の折れる仕事もあるし、むずかしかりそうに見えてやさしい場合もあるし。……で、探しもんというのはなんですかい?”\n”猫を盗まれたんでさ。雄の三毛猫です。あっしゃよく知りやせんが、三毛の雄という奴はなかなか生れないもんだそうですな”\n”へえ。じゃ、猫を探してくれというお頼みなんですかい?”\n”いやいや。そう先っ走りをなさってはいけやせん”と、こぶ万が、”三毛はもう、ちゃんと戻って来とります。あっしの探してくれとお頼みしているのは、三毛を人質に、――いや猫質にとって、五十両かたった不埒者ですよ”\n”へえ、じゃ、お玉ヶ池のこぶ万とまで謳われているお前さんが、三毛を猫質に取られて五十両かたられたんだね。ハハハハ、こりゃあ面白え”\n”何が面白えことがあるもんですかい”とこぶ万は拳をふるわして、”だから、あっしゃ、草の根を分けてもそいつをふんづかまえて、五十両取り返した上に詫証文の一本も書かせなきゃ、腹の虫が癒えねえんですよ”\n”じゃ、町方へ訴えなすったら。その方がよっぽど安上りですぜ”\n”と、とんでもねえ”と、こぶ万は、目玉を剥き、唾をとばした。”あっしという男は、勤王討幕かんばんの押込強盗でせえ、ていよく追い返した程の男ですぜ。その、お玉ヶ池のこぶ万ともあろう男が、けちなかたりに会って五十両取られたなんて世間に吹聴されて見なせえ。面でもかぶらなきゃあ、昼日中出歩きもできねえ。第一、金貸の神さまに申しわけが立ちませんや。だから、一つには、親分に頼んで秘密を守ってもらいてえと思いやしてね”\n”そりゃあ、依頼人に口止めされたことなら、金輪際、人にもらしゃしないがね”と七之助が、”しかし、お前さん程の人物が、どうしてそうやすやすと人のぺてんに引っかかったのか、とんと解せませんね”\n”いや。ところが、ぺてんに掛けられたのはあっしじゃござんせん、玄治店のお菊なんでさ。でも、玄冶店(げんやだな)のお菊があっしの囲い者だってえことを知らねえもんはいないんだから、結局はあっしがなめられたってことになるんですがね”\n”お前さんの話はどうも廻りくどくっていけねえ。順序を立てて、よく分るように、いきさつを話して下せえ””},{“title”: “脅迫状”,”content”: “ 今から十五日ほど前のこと、こぶ万は妾のお菊にせがまれて川崎大師に参詣をしたが、かえりに品川の安八亭で夕飯を食ったので、酒に弱いこぶ万はすっかりいいきげんに酔ってしまった。\n 酒が入ると、こぶ万は女が好きになる。\n で、しばらくぶりに一夜の快楽をむさぼろうと、こぶ万は、お菊と一緒に玄冶店の妾宅にかえって行った。\n 時刻は夜の四ツ近く。留守番をしていた女中のお貞が、お菊の愛猫の三毛を抱きながら、二人を玄関に出迎えた。\n お菊の猫好きは、常磐津の師匠をしていている時分から、弟子たちや近所の評判になっていた位だが、お貞の猫好きもお菊に負けない位で、ちょっとした用足しにも抱いて出かけるという風なのである。そういうお貞は、女主人の気持を知り抜いている。お菊が外出先から立戻る時には、いつも三毛と一緒に出迎える。するとお菊は、お貞の手から三毛を抱き取っていとしそうに頬ずりをあたえる。\n”しかし、その晩は、あっしに可愛がられるのもしばらくぶりのことだもんですから、一時の時間を惜しかったんでしょうかねえ。お貞が差し出した三毛を、面倒臭そうに払いのけやしてね、あっしに目配せして、さっさと二階に上ってしまいました”\n そのあくる朝。\n こぶ万が目を覚した時には、お菊はすでに床をはなれて階下に下りていたが、腹ばいになってたばこ盆を引き寄せながらふと耳を澄すと、なんだか階下がさわがしい(どうしたんだろう!)と、聞耳を立てる間もなく、とんとんと梯子段を踏む足音がして、うろたえまくったお菊の泣っ面が現れた。\n”大へんです、旦那さま、起きて下さいません? 泥棒が入ったんですの”\n”えッ、そりゃあ、大へんだ。だから、いつも言っているじゃないか。戸締りをよくしなくっちゃいけないよって。なにを盗まれたんだ?”\n”三毛ですの。締りがどうのこうのというんじゃないんです。盗まれたのは夜が明けてからなんですもの。お貞は座敷の掃除をしていて、あたしは顔を洗っていたほんの一寸の間にさらわれちゃったんですもの。さっきから探してるんだけれど、どこにも姿が見えないんです”\n”なあんだ。さかりのついた雌の尻でも追っかけ廻してるんだろう”\n こぶ万は、ほっと安堵の胸をなで下して、一笑に付した。\n\n\n”しかしね、親分。あっしみてえな男でも女にだけはかないませんや。朝飯の味噌汁をすすりながら、赤く泣き腫した目をしている女共の溜息を聞きやすと、からかってやるのも可愛想な気がしやしてね。頼まれるままに、小半刻ちかくも、町内をうろうろ探しまわったんですから、他愛がねえじゃござんせんか”\n 三毛は、とうとう見つからなかった。\n\n\n その次に、こぶ万が妾宅を訪れたのは五六日目であった。三毛のことなどは、もう殆んど忘れていたのだが、玄関まで出迎えたお菊が、三毛を抱いているのである。\n”なんだ。三毛はかえっているじゃないか。やっぱり、雌の尻を追っかけまわしてたのかい?”\n”ええ”\n わけありげなあいまいな返事が、こぶ万の頭に疑心を起させた。\n”おらあ、隠しごとはきらいだぜ。正直に打明けてしまいな”\n 長火鉢の前にあぐらをかいたこぶ万は、きめつけるように開きなおった。\n”相すみませんでした”と、お菊は素直にうなだれて、”じつは、三毛は人質に取られてたんですの。五十両よこせ、てんでしょう。旦那さまに御相談したら叱られるにきまってますし、それかといって、可愛そうな三毛が、耳と尻尾をちょんぎられるのを放っとくわけにも参りませんものね”\n”じゃ、その五十両の大金を才覚したというのか。どうしてこしらえたんだ?”\n”着物だの、髪の物だの、洗いざらい質に入れました”\n”なにいっ!”\n こぶ万は、思わず大声でどなってしまった。\n\n\n”だって、親分、考えても見て下せえ。あっしゃ、金貨ですぜ。そのあっしが、あべこべに人から金利を貪られるなんて、そんな理くつに合わねえ話がどこの世間にありますもんか。全く腹が立って、あっしをそんなこっ恥かしい目に会わした奴をひっとらえて地べたに額をこすりつけさせなきゃ、腹の虫がおさまりませんや”\n”もちろん、玄冶店のお菊さんが、お前さんの妾だってことは、そいつも知ってるんでしょうから、そうすると、そいつもなかなか人を食った奴だな”\n”親分、話をはぐらかさないで、真面目に相談に乗って下せえ”\n”乗るとも、乗るとも”と七之助が、”じゃ、先ず手はじめに、身代金請求の書面でも見せてもらおうかな”\n”よろしゅうございやす”\n 座を立ったこぶ万は、別室から一通の書面を持って座敷に戻ったが、七之助が受け取って目を通すと、それには次のような文句がしたためてあった。\n 三毛はおれがあずかっている。十月三日の夜四ツまでに、お仙稲荷の賽銭箱の奥に、身代金五十両かくしておけば、三毛は無事にかえす。もしも要求に応じなかったり、町方に訴えたり、御用聞に相談したりしたら、三毛は耳と尻尾をちょんぎってかえす。\n\n\n”ふうむ。耳と尻尾をちょん切ってかえす、か。そして、おれがあずかっている、と来ている。こりゃあ、面白い”\n”へえ。そんな文句に、なにか意味があるんですかい?”\n”あるとも。だいじな謎解きの鍵があるね”\n こぶ万はいぶかしげに首をかしげた。彼には七之助の言葉の意味が一向に通じないらしかった。\n”じゃ、とにかく、玄冶店に御案内しやしょう。お菊やお貞にも、一度お会いになっといた方がなにかと便利でしょうからね”\n”いや”と七之助は首を振った。”女は口が軽い。お前さんが、どんなにかたい口止をなすったって、いつかはきっと、うっかりおしゃべりをしちまいやすぜ。なあに、女連に会わなくったって、あっしゃきっと不埒者の正体を突き止めて見せやすよ””},{“title”: “裏長屋”,”content”: “ 花川戸の家にかえると、七之助は子分の音吉を呼んでなにかぼそぼそと耳打した。\n その翌日、音吉は堅気の町人姿に化けて朝のうちから花川戸の家をとび出したが、夕方になると、鼻唄をうたいながら、きげんのよい顔を持ってかえった。\n”なにか拾って来たらしいな”\n”あたりきでさ。はばかりながら、花川戸の音吉兄いさん、聞込みにかけちゃあ、江戸第一の折紙つきですぜ”\n と、大きく吹いてから、急に真剣な目付になって、七之助の耳に口を寄せる音吉。\n”ふむ、ふむ……”と、七之助はうなずきながら耳をそばだてていたが、やがて音吉の話が終ると、\n”じゃ、こいつは当分おあずけだな”と、呟いた。\n\n\n それからしばらく、七之助は八丁堀与力の成瀬陣左衛門から頼まれている、旗本屋敷の中間殺しの詮議に専念していたが、十月十五日の朝がくると、急に思い出したように、音吉を呼んだ。\n”音。今日はひとつ河岸をかえて、玄冶店の一件を洗って見ようぜ”\n”あっ、そうそう、今日は十五日でげしたな。親分は物覚えがいいや”\n”なにを言やがる”と七之助は苦笑して、\n”うまく行ったら今日中に片付くかも知れん。いや、片付けてえもんだ”\n\n\n\n その日の午近く、本所亀沢町の裏長屋の露地の中で、一匹の三毛猫が、鼠を追っかけていた。鼠は三毛の爪にひっかけられる前に、逸早く長屋の羽目板のすき間にもぐり込んでしまったので、三毛は無念そうに、鼻先を羽目板にくっつけたり、がりがりと爪を立てたりしている。\n”三毛や、三毛!”\n とつぜん、若い女の声が、長屋の中から聞えたと思うと、一軒の入口が開いて、年の頃十七八の、あどけない娘の顔がのぞいた。洗いざらしの袷を着た、みすぼらしいみなりなのだが、きりょうも人並すぐれているし、背丈もすらっと伸びている。\n”また取り逃したの。鼠とりも無器用だけれど、思い切りも悪い子ね”\n 娘は三毛を抱き上げて頬ずりをしたが、ふと、露地口にやった瞳が、急によろこびにかがやいて、\n”あら、小母さん、いらっしゃい”\n”お島ちゃん、相かわらず三毛に夢中なのね。お父さんの具合はどお?”\n”有難う。大分いいの”\n 家の中から、老人の力の無い咳の声が聞えて来た。女は眉根にうれいの皺を寄せながらなにか言おうとしたが、するとその時、露地の入口の石段の下から、\n”おい、お貞!”\n”あら!”\n 横柄な口調で呼びかけたのは、豆絞りの手拭を頬冠りにした、遊人風俗の三十男。\n”えっ、お前さん、誰あれ?”\n”花川戸の七之助よ”と七之助が、”浅草の観音さまは、いつから川向うへ引越しなすったんだ?”\n”じゃ、親分さんは、あたしの後を……”\n”うむ。いろいろ聞きてえが、長屋の衆をおどろかすのも気の毒だから、ちょっとそこまで付き合ってくんねぇ””},{“title”: “張本人”,”content”: “ その場からもよりの自身番に連れ込まれたお貞、七之助に睨まれてはもうこれまでと度胸をすえたのか、\n”親分さんは、五十両かたりを、どうしてあたしのしわざと目星をつけなすったんでしょう”\n 主客転倒、お貞の方からたずねかけた。\n”第一に首をかしげたのは身代金請求の書面だな。字もたしかに男手だし、文面のはじめに(おれ)という言葉も見える。それから推すと男のしわざと思われるが、耳と尻尾をちょん切るというおどかしは男の頭に浮ぶ文句ではない。だから、おれは、このゆすりの張本人は、さらわれた猫質の、飼主の気持をよく知っている女に違いないと考えたんだ。そうすると、目星はどうしても、お前につけるということになる”\n”そう言えば、耳と尻尾をちょん切るというおどかしは、男の方には分らない気持でしょうね。よく考えたつもりなんですけれど、やっぱり大きな手抜かりでした”――お貞は残念そうに溜息をついて、”でも、三毛をどうして盗み出したのか、その方法だけは、親分さんにもお分りにならないでしょう。三毛はあの朝、あたしがお座敷にはたきをかけていたほんの僅かのすきにいなくなっちまったんですから”\n”お菊も、三毛をさらわれたのは、顔を洗っていた間の出来ごとだといっている。しかし、前の晩、こぶ万とお菊のかえりをお前と一緒に出迎えた三毛も、朝になって姿をくらました三毛も、お菊の猫じゃない。さっき、長屋の娘が抱いていた猫だったんだ”\n”あら!”\n”おどろくことはないよ。それくらいの謎が解けなくって、一人前の御用聞面ができるもんか”と七之助が、”そら、そこにいる野郎は、音吉てえおれの子分だが、聞込にかけては江戸一番だと自惚れてやがるし、世間でもそう言っている。この音吉がお前の近所に探りを入れたんだが、お前は浅草の観音さまを信心していて、毎月一日と十五にはかならず参詣をしているという。あの日は一日でも十五日でも無かったが、お菊が旦那のこぶ万と川崎のお大師さまに参詣したので、その留守の間にお前は三毛を抱いて浅草観音に参詣した。音吉からこの話を聞いた時、おれは(ははあ)と感づいたんだ。このお芝居の立役者はお前だが、ほかにぐるになっている奴があるとね。今もおれが図星を指したとおり、お前が出先から抱いてかえった猫は換玉だった。換玉だから、都合のいい時刻に放っぽり出せば、誰が盗まなくったって、ひとりでに自分の家にかえって行く。どうだ、芝居の筋書はこの通りだろうが”\n”恐れ入りました。なにからなにまで図星でございます”\n”身代金請求の書面は誰が書いたんだ?”\n”八卦見の仙骨堂さんです。あたしが、おどかしの文句を(耳と尻尾をちょん切ってやる)としたらどうかと申しますと(そいつあ、面白い)と、仙骨堂さんもすっかり面白がって、そう書いたのでございます”\n”すると、なにか。このゆすりは長屋中総がかりのたくらみだったのか”\n”い、いいえ。そ、そういうわけではございませんけど”\n”でも、知っていることは、みんな知ってるんだろう?”\n”いいえ。お島ちゃんの父娘だけは、全然知らないことでございます”\n”お島というのは、さっきの、三毛を抱いていたあのきりょうよしか”\n”は、はい!”\n”ふうん! して、それはまたどういうわけだ?”と七之助が、”そうだ、今度はお前の番だよ。観念のしついでに、ひとつきれいさっぱり、一部始終をぶちまけてしまいねえ””},{“title”: “裏店人情”,”content”: “ お貞は、今でこそ身寄りのない境涯だが、三年前までは、深川万年町裏長屋に孝行者の息子と二人で住んでいた。息子は五年の年期を勤め上げたうでのいい大工だったので、早く嫁をもらって初孫の顔でも見たいというのがお貞の楽しみだった。が、運の悪い時には仕方がないもので、息子はその年のはやり病でぽっくりと死んでしまった。お貞はすっかり気を落したが、やがて桂庵に頼んで堅気の奉公口を探した。そして見つけた奉公口が、常磐津の師匠をしてこぶ万の囲い者になったばかりのお菊の家であった。\n 一度奉公人の身になると、もう気儘な外出は許されない。が、お菊は物の解った女で、月々二度の浅草観音の参詣と、時々は、息子の墓参も許してくれた。\n 月日は流れて、今から丁度ひと月ばかり前のことであった。息子の墓参のついでに、なつかしい万年町の古巣の長屋に顔出しをすると、豆腐屋の女房のお近という女が、\n”お貞さん、あの頃、お前さんの隣に住んでいたお島ちゃんという娘さんを覚えていらっしゃる? そら、お父さんて人は、尾羽打枯らした、鈴木源之進とかいういかめしい名前の御浪人だったじゃありませんか”\n”そりゃあ、あの頃親しくしてもらってたんですもの、よく覚えていますけど、お島ちゃん、いい娘さんにおなりでしょうね。そういえば、鈴木さん父娘は今、どこに住んでらっしゃるかしら”\n”本所の亀沢町だそうです”と、お近が、\n”人づてに聞いたんだけれど、お島ちゃん、つい最近のこと、品川のくるわに身を沈めなすったんですって”\n お貞は泡をくって、早速亀沢町にとんで行った。鈴木源之進の住っている裏長屋はすぐに分った。なんにしてもくわしいようすを知りたいと、真先にとび込んだのが仙骨堂の住居だった。お貞がここの長屋に駆けつけた事情を早口に告げると、仙骨堂はすっかり感激して、”そのお志だけでも、自分のことのように嬉しゅうござんすよ”と、喜んでくれた。\n 仙骨堂の話によると――。\n 源之進は、ここの長屋に移ってくると間もなく、宿阿の労咳が嵩じて寝たり起きたりの身になってしまった。長屋の者が同情して、娘のお島にゆすぎ洗濯だの人形つくりなどの内職を世話してやったが貧苦は増すばかり。とどのつまりは、最後まで肌身をはなさなかった両刀や、家宝の香炉まで金にかえた。\n そうやって一時をしのいでいた矢先、悪運というものは重なるもので、源之進がまだたっしゃだった時分に借金の請判をついた知人が夜逃げをしたので、源之進が尻拭いをしなければならないことになった。しかし、借金をかえす力は今の源之進にある筈がないので、血も涙もない高利貸は、娘のお島を無理無体品川のくるわに沈めてしまった。\n”その高利貸がどこの誰だったか、親分さんにはお察しがついていることと存じます”\n”こぶ万か?”\n”はい。その通りでございます”と、お貞が、”その名前を聞いたあたしの驚きはどんなだったでしょう。すると、その時、あたしは、ごろごろと喉を鳴らして、仙骨堂さんの膝に乗っかりに来た一匹の三毛猫を見て、二度びっくりしました。だってその猫は、お菊さんの飼猫に毛並から体の大きさまでそっくりだったんですもの。あたしはこの三毛はお宅の飼猫かと仙骨堂さんにたずねますと(いや、これはお島ちゃんがどこからか貰ってきて可愛がっていた猫だけれど、お島ちゃんがいなくなってからは、長屋中の催合(もやい)の飼猫になっていますのさ)という御返事でした。親分さん、私の頭に、素晴らしい芝居の筋書が浮んだのはその時のことでございました”\n お貞が、こぶ万は自分の女主の旦那であること、この三毛にそっくりの三毛を女主も飼っていることなどを打明けて、今、自分の頭に浮んだ思いつきを話して相談を持ちかけると、仙骨堂は一も二もなくそれに同意した。”芝居の筋書は思ったよりもらくに運んで、あたしたちは五十両の金を手に入れることができました。仙骨堂さんがその金を持って、お島ちゃんを泥沼の中から救い出しました。長屋中の人はそのいきさつをよく知っております。でも、お島ちゃんの父子だけは、今でも、その金は、あたしが富籤にあたった金の中から融通したものとばかり信じ込んでおります。親分さん、あたしは今更どうなってもかまいませんが、鈴木さん父娘にだけでもその金のほんとの出所を知らさないですむように取計っては頂けないでしょうか。あんまり虫のよいお願いでしょうけれども”\n”そうさな”\n と七之助は頭をつまんで、\n”じゃ、こうして貰おう。こぶ万にあてて詫証文を仙骨堂の手で一札書いてくれ。こっちの名前は書くに及ばん。又、五十両の金は、おれがこぶ万から受け取る謝礼の中から払っておく。おれは、金貸ではないから利子も取らないし、元金の返済はあの世に行ってからでもいい”\n”お、親分さん。そ、そのお言葉を真に受けてもよろしゅうございましょうか”\n お貞は、手を合せて七之助を伏し拝みながら、ぽろぽろと涙をこぼした。\n”止しねえ。おらあ、仏さまじゃねえや。それどころか、げじげじのように人にきらわれる御用聞だあね”\n と、七之助は笑って、”だが、お前も心苦しかろうが、しばらくはお菊のところで辛抱するがいいぜ。いい潮時を見計ってひまを取るんだな””},{“title”: “詮議料”,”content”: “”大口屋さん、ほんの一刻半か二刻のうちには返しやすがね、六十両ばかり用立てては下さらんか”\n かねて懇意に出入をしている、蔵前の札差大口屋に現れた七之助。あるじの大口屋に会って、短刀直入に申し入れたものだ。\n”さては見せ金というところですな。お安い御用じゃ”\n 大口屋は、番頭を呼んで、六十両の金包みを用立てさせた。\n 六十両の金包みをふところに捩じ込んだ七之助。膝栗毛をとばして乗り込んだのは、神田お玉ヶ池の金貸、こぶ万の家。\n いつかの座敷に通されて、ぼんやり、庭先に目をやっていると、\n”やあ、やあ、お待たせ申しやした”\n こぶ万がたばこ盆を持って入って来た。早速、一服吸いつけると、一時の間も惜しむように、\n”ところで、例の件は、なんとか目鼻がつきやしたでしょうか?”\n”とっちめやしたよ。へい、これが詫証文。こっちの金包は小判で六十枚、質屋の利子に十両見てある”\n”へえ、え”\n あっけに取られたように、こぶ万は、膝の前に並んだ詫証文と小判の包を見比べていたが、やがて夢から覚めたように小刻みにふるえる指先で小判の数を読み、身代金請求の書面を、詫証文の筆跡と見比べた。\n”へい。どちらもたしかに、間違いはございやせん”\n とこぶ万が、\n”で、あっしを小馬鹿にした者は、どこのどいつでござんしたでしょう?”\n”そいつあ、言えねえ。内密にしてくれと頼まれて、承知をしてしまったもんだからね。それに、お前さんも、かたられた五十両には利子までつけて取返した上、正真正銘の詫証文まで書かしたんだから、それで男の面目も立とうというもんじゃねえか”\n”そりゃあ、まあ、そうでやすがね”と、こぶ万は不承不承に、\n”で、親分のお礼はいかほど差し上げたらよろしかろうか”\n”そうさな。百両と言いてえところだが、お前さんに足を出させるのも気の毒だから、まあ、六十両に負けときやしょう”\n”えっ、六十両?”\n”安すぎやすかい?”\n”じ、冗談じゃねえ。親分は、不埒者の詮議に幾日つぶしなすった?”\n”丸一日つぶしたよ”\n”一日? 一日の日当が六十両ですかい。一両ありゃあ娘みてえな妾が一月囲えやすぜ”\n”とぼけなさんな。お前さんの頼みなすった御用聞は、江戸一と折紙つきの、花川戸の七之助だってえことをお忘れなすっちゃいけやせん。そんじょそこらの有象無象なら、五両か三両でも動くかも知れねえが、七之助の詮議料はちっと高えや”\n”ううむ、仕方がねぇ”\n 額にふき出した汗の粒々を掌ではらいながら、こぶ万は、絞め殺される怪獣のようにうなった。”}],”characters”: [{ “name”: “七之助”, “role”: “主人公”, “desc”: “花川戸の御用聞。”江戸第一の折紙つき”と自称・他称される腕利き。” },{ “name”: “こぶ万”, “role”: “依頼人”, “desc”: “お玉ヶ池の高利貸・万五郎。こぶがあるため”こぶ万”と呼ばれる。けちで強欲。” },{ “name”: “お貞”, “role”: “女中”, “desc”: “お菊の家の女中。かつて息子を亡くした過去を持つ、猫好きの女性。” },{ “name”: “お菊”, “role”: “被害者”, “desc”: “こぶ万の妾。玄冶店(げんやだな)に住む元常磐津の師匠。愛猫の三毛を人質に取られる。” },{ “name”: “音吉”, “role”: “子分”, “desc”: “七之助の子分。聞き込みの名人。” },{ “name”: “仙骨堂”, “role”: “協力者”, “desc”: “裏長屋の八卦見。お貞の計画に協力し、脅迫状を書いた。” },{ “name”: “お島”, “role”: “娘”, “desc”: “没落した浪人・鈴木源之進の娘。借金のかたに品川へ売られていた。” }]}[/immersive_reader]