第一輯 その一


○   一

 ざーざーざざざー
 大粒の雨が、体を打っている。
 仁右衛門は夢から覚めた姿勢のままだ。虚空に右手を突き上げ、その涙に濡れた双眸は、未だ地に落ちた近藤の生首を見ているかのようだ。が、あれは、もう何日と前の話なのである。
 仁右衛門は右手を降ろし、体をまさぐる。
 身を横たえたまま、目玉をわずかに動かす。総身が痛み、呼吸をするのも億劫だ。
 一体、自分は、どこにいるのか――

 眩暈がおさまると、朦朧とした視界の中に、樹幹がくっきりと浮かび上がる。
茫漠とした意識がわずかに立ち直る。上野のお山か、と思ったときには、慌てて身を起こしていた。
 赤子の激しい泣き声が、いくさ場を引き裂くように、轟き渡っていたからだ。


○   二

 辺りは一面水浸しで、泥濘の中に、具足を着た体が沈まっていた。パチパチ、パチパチ、木の爆ぜる音がして、見ると、御堂が火を噴き上げているのである。
 一体どのぐらい、気を失っていたのか。泥から腕を上げるのにも苦労した。にもまして厄介なのは、胴丸を貫通してくい込んだ、数発の弾丸である。
 敵弾を三発、立て続けに受けて倒れたことを思い出した。腹と胸に一つずつ。胴丸を貫通して食い込んでいる。それで怯んだところ、左の側頭を横殴りにされて、昏倒したのだ。
 痛みに堪えて身を返す。どうにか肘をついた。
 仁右衛門は、刀を探して這いまわる。
 地面は、敵味方が踏み荒らして、泥沼と化している。辺りには、仲間の遺体が、あちこちに転がっている。その仲間の血海と雨とが入り交じっているのである。
 不忍池をこして放たれたアームストロング砲の威力は凄まじく、仲間は散々に引き裂かれてしまった。
 仁右衛門はふと手を止めて、膝立ちのまま顔を上げた。
「いくさは終わったのか……?」
  彰義隊は負けたのか――
 そのわりに、銃声だけは散発的に聞こえてくる。
 あたりは火気とともに、硝煙の香りが未だ漂い、鼻腔をさしてくる――


○   三

 時節は、黴雨 である。
 時は、幕末――
 所は、江戸。
 上野、寛永寺、境内であった。


 仁右衛門の奥村家は、御徒衆を代々続ける、歴とした御家人である。
 この二百年ばかり、徳川家の禄を食んできた。
 仁右衛門は、現当主だ。本人が死ねば、お家は断絶だが、彰義隊にノコノコと参加した困った男だ。
 御徒組――といっても、文久の軍制改革からは、御持小筒組と改称されている。以来、洋式銃砲の訓練を行ってきた。この男も、その変遷をたどって、生きてきた。
 やがて、その統率力を買われて、フランス伝習隊の隊長となり、長州征討、鳥羽伏見と、幕末の戦いを、幕府の命脈が尽きるまで続けてきた。その大半が負け戦であったが、ここ上野でも、この男は敗れたわけだ。


○   四

 山内の伽藍が、続々と焼かれている。
 が、仁右衛門の関心は、徳川家の霊廟になく、赤子にあった。
 とまれ、仁右衛門は、刀を拾い上げると、燃えさかる伽藍を後にし、声の出所を目指す。
 刀を杖に彷徨し、やがて官軍の捨てたとおぼしき新式銃を拾い上げた。
 うまい具合にスペンサー銃だ。
 スペンサーは後込めの連発銃である。弾丸は七発まで込められるはずだ。
 伝習隊で、操作は習熟している。
 弾倉はチューブ式になっている。後部銃床におさめられているのである。確かめると、二発の残弾がある。
 仁右衛門は、レバーアクションをして排莢する。ハンマーを起こし、銃床を頬に当てた。そのまま、わずかに腰を落とし、移動を開始する。

  • 筆者
    h.shichimi
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