【オリバー・ツイスト深掘りコラム 第4回】機械に仕事を奪われた人々

ディケンズの時代と現代AI社会の驚くべき共通点

ディケンズが生きた時代と産業革命の関係、そしてそれに伴う社会の変化は、『オリバー・ツイスト』を理解する上で非常に重要な鍵となります。

チャールズ・ディケンズが生きた19世紀は、単に産業革命の「後」の世界ではありません。彼はまさに、産業革命がもたらした巨大な渦の「真っ只中」に生きました。

蒸気機関の煙が空を覆い、社会の仕組みが根底から覆されていく、期待と不安が入り混じった激動の時代です。そして驚くべきことに、当時の人々が抱いた不安は、AIの登場に揺れる現代の私たちと深く響き合っているのです。

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仕事は増えたのか?奪われたのか?

「産業革命によって失業者があふれた」というのは、半分は正解で、半分は少し違います。正しくは、「特定の仕事が機械に奪われ、多くの人々が職を失った」と同時に「新しい形の仕事が大量に生まれた」のです。

これまで何世代にもわたって受け継がれてきた熟練の技術を持つ手工業の職人たち(例えば、手織り職人)は、織機という機械の登場によって、自分たちの仕事が何の価値も持たなくなるという残酷な現実を突きつけられました。彼らのプライドと生活は打ち砕かれ、中には「ラッダイト運動」に代表されるような、機械を打ち壊す暴動に走る者もいました。

その一方で、機械を動かすための工場では、単純労働に従事する新たな労働者が大量に必要とされました。農村から都市へ流れ込んだ人々は、こうした工場の労働者となっていきます。しかし、彼らの労働はかつての職人のような熟練を必要としない、誰でも替えがきく単調なものでした。低賃金で、危険で劣悪な環境の下、人間性を失わせるような労働に人々は苦しめられたのです。

つまり問題の本質は、失業者の数そのものよりも、労働の「質」が劇的に変化し、職人としての誇りが奪われたことにありました。

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19世紀の「蒸気機関」と21世紀の「AI」

この構図、われわれはどこかで見たことがあります。「AIに仕事を奪われる」という現代の私たちの不安と、まさに瓜二つです。

特定の専門職や事務職がAIに代替される可能性におびえる一方で、AIを管理・開発する新しい仕事が生まれる。この技術革新がもたらす社会の地殻変動は、19世紀の人々が蒸気機関に感じた期待と恐怖を、私たちに追体験させているかのようです。

ディケンズが描いたのは、こうした急激な変化に適応できず、社会の歯車からこぼれ落ちていく人々の姿でした。彼らの苦悩は、時代を超えて現代の私たちにも切実な問いを投げかけます。

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罪人を乗せた船―究極の「社会からの排除」

急激な都市化、貧富の格差、そして労働環境の激変は、必然的に社会不安を増大させ、犯罪の温床となりました。ヴィクトリア朝の支配者たちは、社会秩序を維持するため、たとえパンを一つ盗むといった軽犯罪であっても、非常に厳しい罰で対処しようとしました。

そして、当時のイギリスには、刑務所だけではない、究極の刑罰が存在しました。それが「流刑」です。

これは罪人を国内から追放し、遠い植民地へ送り込むというもので、まさに社会からの完全な隔離と排除を意味しました。当初、流刑先は北米の植民地(後のアメリカ合衆国)でした。しかし、1776年のアメリカ独立によって、イギリスは最も重要な流刑地を失ってしまいます。

そこで新たな「ゴミ捨て場」として白羽の矢が立ったのが、ジェームズ・クックが探検したばかりの未知の大陸、オーストラリアだったのです。『オリバー・ツイスト』が書かれた1830年代において、窃盗などの罪で捕まった者がオーストラリアへ流刑になることは、ごく一般的なことでした。物語に登場するフェイギンやサイクスのような犯罪者たちにとって、絞首台の次に恐ろしい運命が、生きて二度と故郷の土を踏めない流刑だったのです。

この流刑制度は、「厄介者は目の届かない遠くへやってしまえ」という、救貧院の思想とも通底する、ヴィクトリア朝社会の冷酷さを象徴しています。このように見ていくと、『オリバー・ツイスト』は単なる過去の物語ではありません。技術革新が社会にもたらす歪み、格差の拡大、そして社会の「不要」とされた人々の苦しみは、現代を生きる私たちがまさに直面している課題なのです。