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ねじまげ世界の冒険 第三巻 の冒頭部分を紹介いたします!

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ねじまげ世界の冒険 第3巻 冒頭部分を紹介いたします。

第六部 ねじまげ世界の最終戦争

章前 二〇二〇年 ――ねじまげ世界 八月十五日 午前九時四十五分

竹村寛太、窮地をすくう

事の発端が、利菜と紗英の到着にあるにせよ、寛太はそのときを、愛用のパジェロで迎えた。運転席で意識をなくしていたのだが、それが突然目を覚ましたのは、頭の奥がキインと鳴って、車と体を強い衝撃に揺さぶられたからだった。
目を開けたとき、フロントガラスの向こうでは、朝日が斜めの線を描き、水滴を輝かせていた。
ガラスにもボンネットにも、厚く落ち葉が積もっている。まるで何ヶ月も、その場に停まっていたかのようだ。
寛太は朦朧とする頭で、外によろめき出た。目の前にジャスコがあった。彼の車は、その広い駐車場の中央に、たった一台で停まっていた。廃墟……という言葉が浮かんだ。年中無休の看板は、すでに降ろしたようだった。閉鎖されてずいぶん経ったようにも見えた。人気がないせいかと思ったが、 それだけではない。
音がないのだ。いくら休日でも、周囲には住宅がある――
住宅が、なかった。
寛太は首を巡らしながら、歩き回った。ジャスコは神保町の、ほぼ中心にある。南には高速道路も通っているが、それもなかった。ないというよりも、ぼんやりとかすんで、見えないのだ。
よろめき、パジェロの助手席にぶつかる。寛太は、思考も言葉もなくしている。
車に戻ろうとする、立っていられなくなるに決まっている。下手をすると、吐くかもしれない。
シートに身を落ちつけて、ようやく言葉を口にした。
「ここは、どこなんだ?」
車の中で周囲を見渡す。駐車場にも、屋上に続くスロープにも、鎖がはってあった。いつジャスコに来たんだ、と寛太は考える。なぜ、こんなところで眠ってた? みんなどこに行ったんだ?
町はどこに行ったんだ?
「それとも、おれがどこかにきちまったのか?」
彼の目は、助手席に置かれた新聞に引きつけられた。なぜ、そこにあるのかわからない。車で読む習慣はない。ただ、その新聞は奇妙だ。
どこか、ちぐはぐしている。
手にとってみる。答えがわかった。文字が左右逆転しているのだ。大昔の新聞みたいに、右から左にかかれている。古風なレトリックをつかっていて、読みにくいときたらなかった。
じいちゃん、懐かしの古新聞があるぜ……と彼は思った。こんなときだが、寛太郎に無性に会いたい。
すぐに会える気がする。
「そんなはずない」
寛太は頭をふって否定した。まだ死ぬべきときじゃない。おれが死んだら、佳代子や達郎たちはどうなる?
手がわなないた。
彼は情けない、しっかりしろと自分を激励しにかかったが、日付を見たとたんに、震えはいっそうひどくなる。目までかすんだようだった。
解放三年、八月十四日――
「いたずらか?」
寛太は笑おうとしたが、口元から上にはのぼらなかった。今ここで、現実逃避するのはまずい。
おれはおさそいに引っかかってる。きっと世界のねじまげに遭遇してる――わるいものの巣の中にいて、背中には死が貼りついている。
彼は頬を撫でて、その馬鹿みたいな笑みを引っこめた。
記憶では六月二十五日のはずである。新聞の日付通りなら、太一のやつは、夏休みじゃないかと彼は考える。
それに解放三年?
なんだその年号は?
急に思い出した。この日の朝、いつもの行商をおえて家に戻った寛太は、届いたばかりの新聞を助手席に投げ込んで、佳代子の使いで町にくりだしたのだ。
恐ろしくなり、新聞を投げ捨てる。ポケットから携帯を取り出すが、指が震えてうまく押せない。
「くそ!」と彼は言った。「みんな、どうなっちまったんだ! 佳代子は、新治たちはどうなったんだ!」
その瞬間、寛太は世界に存在するのは自分一人で、他の物は全て消えてしまった、という強迫観念に囚われていた。
携帯電話を耳に当てるが、鳴りもしない。電池は十分。なのに、通じない。
ハンドルに伏せた。泣いてすっきりしたかった。けれど、狂乱に陥るまえに、するべきことがある。
新聞だ。
その古風な新聞は、ずいぶんと彼の関心をひきつけた。
解放三年、八月十四日の新聞。
四つ折りの新聞に、何度となく目を落とす。中身が気になって仕方がないのに、決して読みたくはないかのように。けれど、四つ折りの下部に見慣れた文字のいくつかを見つけると、そうもいっていられなくなった。そこには、神保町の兄弟、銃殺される、とあったからだ。新聞の第一面だが、小さな扱いの記事だった。寛太はそのコラムを、目に貼り付けんばかりにして必死に読んだ。ここはねじまげ世界かもしれないが、判読できることは幸いだ。
『徴兵拒否と国家侮(ぶ)辱(じよく)罪により、逮捕された神保町の兄弟が、今日銃殺される。二人の自宅に赤紙が貼られたのは、当月の十四日である。同日未明、憲兵隊は、召集令状の受け渡しに向かったが、二人はその憲兵に反攻を企てるという暴挙をしでかした。』
「うそだろ……」
今度こそ吐きそうになる。憲兵、召集令状、徴兵拒否――
「助けてくれ、じいちゃん……」
これじゃあ、まるで戦時中の世界じゃないか。
新聞を開いて中をよく読もうとしたが、文字はかすんで消え始めた。特有でいて魅惑的なその紙に、新たな文字が浮かんでくる。
ぼやけた文字がはっきりすると、寛太は食いつくようにむさぼりよんだ。新たな記事の中では、達郎と新治がすでに処刑されたことになっていた。新聞の見出しは、太いゴシックで、『徴兵拒否の兄弟、処刑さる』と書かれている。
『千葉県神保町出身の尾上兄弟は、スパイ容疑が確定となり、当月十八日に銃殺刑となった。処刑されたのは、神保町野上在住の尾上達郎38と、同地区在住尾上新治37。同町出身の参議院議員、坪井善三氏は、この国家危急のおりに、非国民を故郷が生んだことに、遺憾の意を表明し……』
「坪井善三?」
寛太は鼻で笑いながらつぶやいた。彼がその名を聞くのはずいぶんと久しぶりだが、何者であるかは覚えている。
釈尊会の会長じゃないか。
25年も前に死んだ男だ。そいつがよみがえった上に、新治と達郎の処刑に文句を垂れてるってのか?
「あの二人は死んでない、こんな記事はでたらめだ!」助手席に新聞を叩きつける。「あいつらとは山に戻るてはずだったんだ。なのに何で死ななきゃいけない」
世界はねじまげられている。どうやら、あの言葉は真実をかたっていたらしい。ずっと警告を発していたのだ。無意味な言葉でも、狂った脳みその発する戯(たわ)言(ごと)でもなかった。
「くそう。さっきまでは二人は死んでなかったじゃないか。なんでなんだ。この記事は――」
現実なのか?
寛太は、第一面をおおざっぱに読んだ。第三帝国が半島に進出したとある。朝鮮半島の地図が載っていて、第三帝国と満州軍の戦闘の軌跡が、簡略化されて載っている。寛太は新聞を投げた。これが現実だとしたらえらいことだ。まるで、歴史が……
「ねじまげられたみたいじゃないか」
とつぶやき、笑い声を上げた。ガタン、と枠の外れるような音がして、車体が揺れた。
タイヤが外れたのかと思った。
車外に飛び出した寛太は、デパートの解体現場に出くわした。
まるで、時計の逆回しのようだ。
ジャスコの看板がとれ、塗装がはげおち、外壁がぞくぞくと消えていく。
ジャスコの存在が、消えていく。
寛太が尻餅をつくと、足下のアスファルトはみるみるうちになくなって、土の地面がむき出しとなった。ジャスコの上空には、真っ黒な渦が、雷を鳴らしながら出現し、もはや鉄骨をむき出しにしているジャスコの材料を、渦の中へと吸いとっていく。砂埃が猛然とわき起こる。周囲の並木が、根こそぎ吸い込まれていった。
ズリズリという音にふりむくと、風の吸引力に耐えきれず、パジェロまで動きはじめている。
「くそったれめ!」
寛太は怒りの声を上げて飛び乗った。扉をしめると、風はどうにか遮断できた。
キーを回すが、反応がない。
「くそ、かかれ、かかれ!」
二度、三度と、セルがうなり出す。けれど、頭のどこかでは考えている。歴史がねじまげられたのなら、このパジェロだって存在しないことになる。
「そんなことない!」と彼は言った。「存在しろ! 主張しろ! こっちが本物なんだ! 負けるな! かかれ! かかれ!」
エンジンの回転音は、さながら天使の祝福のようだ。寛太は諸(もろ)手(て)を打ったが、車体はまだ引きずられている。ケツを振って回転している。寛太はギヤをローにぶちこんで、アクセルをふんだ。タイヤが土をまきあげだした。車体が浮いて、地面をつかまえ切れないのだ。
ハンドルを猛烈にまわし、車体を出口に向けていく。
ふりむくと、サンルーフの向こうに見える渦にむかって叫んだ(その渦を子どものころ、何度も見たことを思い出す)。
「建物と一緒くたにするんじゃない、おれは人間なんだ! おれは全部覚えてるぞ! 元の世界を覚えてるぞ! ざまあみろ!」
新治たちもだ。あの二人も、元の世界を覚えていたから、殺されるのだ。
「おれの仲間はみんな覚えてるぞ! おれたちがねじまげを食い止めたんだ! 今度だってやってやる! さあ、踏め! 地面を踏め! 進め、この野郎!」
渦は寛太が嫌いらしい。吸引力はますます強まったが、パジェロは寛太の精神と呼応して、気合いと根性、ガッツをみせた。基本性能と、物理法則を、無視して働く。
出口の鎖が引きちぎられ、パジェロめがけて飛んできた。寛太はとっさに身を伏せる。その分厚い鎖はボンネットに打ち当たり、ランプを砕いてサイドミラーを破損させる。
破片は、すぐさま渦に吸い込まれていった。
ウオン、ウオオオン!
そのエンジン音は、さながらパジェロのあげる抗議のようだ。
確かな加速を感じたかと思うと、パジェロと寛太は、時間の逆行現象に逆らって、ジャスコの敷地を飛び出した。

目の前に、柵があった。

「うわあああああ!」
寛太は絶叫とともに、左にハンドルを切った。ブレーキもふみ、どうやらサイドレバーもひいたらしい。後になってみても、あの体勢でどうやってレバーを引いたのか、思い出すことはできなかった。ともあれパジェロは横転しかかりながらも、道の中央に留まることができた。
外を見下ろすと、地面をかなり深くえぐっていたのでゾッとした。
もうジャスコはなかった。今度も時の逆転現象が起こっている。時間がみるみる進んでいく。ジャスコの跡地には、高い木塀と木造の屋敷が建っていく。恐ろしく滑らかな早回しだ。
こんなふうに自動で建物ができあがるのを知ったら、新治と達郎はどう思うかなあ、と彼は思う。
門ができあがった。かと思うと、その脇には看板が立ち、文字が浮かび上がってきた。大日本帝国憲兵本部……。寛太ははっとなった。憲兵と言えば、達郎たちを捕まえた連中である。
門のあちこちで赤い点が浮かびはじめた。それはどんどん大きくなって炎をかたどり、門を包みこみはじめた。大火災だ。憲兵本部は現れたばかりだというのに、炎に包まれて、消え去ろうとしている。無音の中で、憲兵たちが門を開けだした。
寛太は慌ててキーを回した。かかった。寛太は喜びを爆発させてハンドルを叩いた。ねじまげ世界に来ても、変わらずガッツのあるやつだ。
ようやく音が聞こえだした。ウーウーというサイレン音に、人のささやくような声も。時間に音が追いついてきた。どんどん大きくなり、炎の風巻く音も混じり出す。ヒュルヒュルという笛の音。重い炸裂音、悲鳴と怒号。
「なんてこった……」
寛太は窓を下げた。憲兵たちは防空壕に逃げようとしているらしく、建物から人が飛び出してくる。
窓から身を乗り出し、空を見上げる。爆撃機だ。巨大な編隊が胴を開け、そこから何か落ちてきた。
焼夷弾だった。
「達郎!」
と寛太は憲兵本部に向かって怒鳴った。表に飛び出してきた憲兵たちがこっちを向いた。
「なんだあ、きさまは!」
「尾上達郎は!? 尾上新治はどうした!?」
「非国民など知るものか! どうせやつらは銃殺だ!」
男の声の合間にも、棒状の焼夷弾が、火を噴きながら道に突き刺さる。もしくは、兵士の体に突き刺さって、燃え上がり始めた。
憲兵本部は、地獄絵図だった。あちこちから炎が噴き上がり、窓をつきやぶって人が出てくる。
焼夷弾は屋根をたやすく貫通して、内部に炎を振りまいている。
「あいつら生きてるのか?」
男の口ぶりから察するに、まだ銃殺は行われていないらしい。
パワーウインドウを上げた。アクセルを踏み込むと、門の前にいた男たちが、あわてて飛び退いた。
パジェロは門をくぐって、演習場を駆け抜ける。木造の平屋建ては火のまわりも早い。
寛太は歯噛みする。これじゃあ、二人が生きていても、助けられない。
助手席の新聞にちらりと目をやる。記事では、二人は銃殺されたことになっていた。火で焼け死ぬとは書いていない。だけど、
「おれはあの記事よりも過去にいるんだ」
そうでなければ、二人が生きているはずがない。
寛太は車を降りてドアを閉めた。炎の熱気が、彼をあぶった。吸いこむ息が、気管を燃やしている。
憲兵本部は、この空襲で真っ先に狙われたらしい。手のうちようもない。憲兵たちは消火もせずに、我がちに逃げていった。
寛太は煙に巻かれて咳きこんだ。逃げなければ焼け死ぬことを、冷静な本能が告げている。
「だけど、あいつらがいなきゃ勝ち目がねえんだ……」
と彼は言った。上着で口元を押さえると、憲兵本部に踏み込んだ。

「達郎! 新治!」
憲兵本部を探し歩いた。
熱気に包まれているというのに、頭は冴え冴えとしていた。子どもの頃、幾度も感じたパワーが五体を駆け巡っている。二人が生きていることがわかるのだ。どの方角にいるのかも。
もはや闇雲に歩いているのではなかった。自分の家のように迷いのない足取りで突き進んだ。
角を曲がったとき、座敷牢の向こうに、二人がいた。
「寛太!」
「達郎! 生きてるか!」
寛太はゆっくりとそちらに歩いていく。熱と煙で、呼吸ができないのだ。
寛太はやっとの思いで、鉄格子にとりついた。扉をひくが、鍵が掛かっている。ここに残したまま、焼き殺すつもりだ。
「おまえら生きてたんだな」
よく生きてた、と寛太は思った。煤(すす)にまみれて、二人の顔は、真っ黒だ。きつい取り調べだったようで、皮膚は裂け、青あざをつくり、じつに痛々しい姿だ。顔を腫らしすぎて、人相まで変わっている。それでも、生きていてくれたのだ。
「寛太、ここは燃えちまう」達郎は言った。見た目よりも元気なようだ。「ここはねじまげ世界だ。おれたちは……」
「黙れ!」怒りに任せて、格子を揺さぶる。
「無理だ。鍵がかかってる」新治の声には、あきらめがまざった。「おまえだけでも逃げろ。佳代子や利菜を、助けてやれ」
寛太は呆然と彼を見つめた。「あいつが戻ってきてるのか?」
「ああ」
新治がうなずいた。彼の目が言っている。見た訳じゃない。でも、あいつを感じるんだと。
達郎が格子越しに怒鳴る。
「寛太、おれたちはもういい」
「いいなんてことがあるか! おまえらは助かるんだ! いいか、おれたちの味方してる奴らだって……」煙を吸いこみ、咳きこんだ。「おまえらは銃殺されるはずだったんだぞ。あの新聞がなけりゃ、おまえらが、ここにいるなんて思わなかった。おれは……」
「だが、どうするんだ!」と達郎。「この扉は開かない! おまえまで死んじまうぞ!」
「ここで待ってろ! 格子の側にめいいっぱい近づいてろ!」
寛太は床にはいつくばると、煙の下にある正常な空気をできるかぎり吸いこんだ。息を止めると、玄関を目指して走り出す。視界は煙で見通しがきかない。寛太はなにかにぶつり、なにかにつまずいた。二人を助けたいという一心だった。その気持ちだけで外に出、車にたどりつくと、運転席にとびのった。演習場には焼けこげた死体と逃げ遅れた兵士たちがいる。寛太が車を動かすと、目が覚めたように追ってきた。
どこに行けばいいかはわかっていた。二人のいる場所がわかるからだ。
建物の左手に行くと、そちらは火災がもっともひどい。ガラス越しにゆらめく炎。寛太はおじけづいた。けれど、このやけこげた壁の向こうに、二人がいるのだ。
ベルトをしめる。
「木造だ、コンクリートじゃない。ぶちぬけるぞ!」
寛太は両手で頬を叩くと、ほとんどシートの上で腰を浮かし、まるで駆け出すようなかっこうで、アクセルを踏みこんだ。
壁が迫り、ぐんぐん迫り、ガラスにふれんばかりになる。頭は逃げるもんかと意地をはったが、本能が体を引いて、足がペダルから離れる。
車は壁に激突して、寛太はシートとエアバックに叩きつけられた。
呻きながら目を開けると、フロントガラスが砕け、その破片でエアバックもやぶれてブスブスとしぼんでいく。折れた外壁がハンドルに突き刺さっていた。あのまま、アクセルを踏みこんでいたら、彼を串刺しにしていただろう。
「お、おおい……」と寛太は言った。その弱々しい声に、我ながら驚いた。「おおい、新治……」
彼はパジェロが穴をふさいで、二人が出て来られないことに気がついた。シートに座り直すと、ギヤをバックにいれた。

パジェロは外壁にくいこんで、なかなか抜けなかった。動いた、と思うと、穴の向こうでは達郎と新治、が車のフロントを押している。
寛太は割れた窓から身をのりだす。痛む肋をこらえて怒鳴った。
「早く乗れ、憲兵がくるぞ」
周囲では焼夷弾が、まだ降っている(本当は、なめ太郎が、屋根の上から焼夷弾を投げていたのだけれど、寛太も憲兵たちも、気づかなかった)。
憲兵たちの銃撃も始まった。鉄の車体に、弾丸の当たる音がする。
達郎がフロントガラスを乗り越えて助手席に乗り込み、新治も後部座席に座った。
裏手に回ろうとパジェロをまわすと、憲兵たちが横隊を築いて射撃をくわえる。達郎が、しゃがめしゃがめと叫んでいる。割れたガラスをはじいて弾丸が飛びこんでくる。寛太はハンドルに突っ伏しながら、アクセルを踏んだ。
「本物の空襲かよ」と新治が怒鳴る。「どうなってんだ」
「事情が知りたきゃ、新聞を読めよ!」
口元を拭う。腕に、鮮血がべっとりとついた。
本部の脇を通り、裏口を出た。サンルーフのガラスに、焼夷弾が、ガン、ガン、と落ちた。
達郎が、塀の向こうの町並みを見ていった。
「町中、火の海だぞ! こいつら第三帝国ってのと、戦争してるんだ!」
「ああ、知ってるよ!」
「おれが、徴兵されたんだぞ! 新治と一緒にリンチにされた!」
「それも知ってるよ!」と寛太は言う。車道に出ると道は舗装もされていない。「そんなことより、今日はいったいいつなんだ!」
「八月十五日だ!」
「十五日? だけど、おまえのけつの下にある新聞は、八月十七日になってたぞ」
達郎はあわてて新聞を取り出す。
「本当だ、日付は十七日だ」
「そいつには、おまえらが銃殺になったって記事が載ってた。今はなんて書いてある」
しばらく、沈黙が続いた。達郎は揺れる車内で苦労して読んだ。空襲で破壊された家屋が、車道に破片を散らしている。車輪が暴れ馬のように跳ね飛ぶたびに、寛太は痛みに顔をしかめる。
「そんな記事どこにも……待てよ、待て待て。……両神山で女性の惨殺死体? こいつは……」
運転に集中していた寛太も、思わず道から目をそらした。新治が後部座席から身を乗り出しきた。
「いったい誰のだ?」
「今あの山に近づく女の二人づれなんて、あいつらしかいないだろ」
達郎が言った。
寛太はスピードをゆるめた。「町内を出よう……」
道のまわりには、逃げ遅れた人たちがいる。
「助けないのか」と新治が訊いた。
寛太は答える。「新治、冷静になれよ。これは本物の世界じゃない」
「だけど、これは現実だぞ」
「おれたちの知ってる日本は、帝国と戦争したりしてないだろ!」
寛太の叫び声と同時に、左前方の家屋に爆弾がおちた。瓦礫と死体が、ボンネットに降り注ぐ。
寛太は浴び血に濡れて、怖気をふるった。「なんてこった……」
ボンネットには、引き千切られた子どもの腕が乗っている。
「見ろよ、くそったれ!」新治が叫んだ。「これは現実だ! あれを見ても、まだ幻覚だなんて言い張るつもりか!」
「誰も、そんなこといってないだろ! おれたちがすべきことは、そうじゃないんだ! おれたちは……」
そのとき、サンルーフのガラスごしに空をみていた達郎が、「戦闘機だ……」とつぶやいた。「おい、上に戦闘機がはりついてるぞ!」
「こんな車で走ってりゃ、目立ちもすらあ!」
「機銃で撃たれるぞ! 逃げろ、寛太!」
そのとき三人の頭にあったのは、寛太郎から何度も聞いた戦争話だ。その話は生々しく彼らの頭に残っていたから、機銃に腸を引き裂かれる自分たちの様(さま)が、まざまざと想像できた。
新治の背筋に、悪寒が走る。彼はサンルーフから身を乗り出して、空をのぞいた。
土の地面にバツ、バツ、と穴が開く。戦闘機は、まっすぐに後を追ってくる。
「寛太あ! 来たぞ! かわせえ!」
「ふざけんな! 直線だぞ!」
達郎が右手を指さしていった。「あそこに飛び込め!」
そちらには、ばかでかい邸宅があった。
ちょうど門が開いている。
寛太が目一杯ハンドルをまわすと、パジェロは門柱にぶつかりながらも庭園に入った。機銃弾が、新治の真後ろをかけぬける。重い機銃の連撃に、パジェロの車体が跳ねる。寛太の手の中で、車がコントロールをなくしていく。
エンジンから、ギュルギュルという音がたち、回転がとまった。頑丈なこの車も、今の銃撃で、本当にだめになったのだ。
「二人とも無事か?」
と達郎は訊いた。見上げると、ひび割れたガラスの向こうで、戦闘機が旋回している。ボンネットは焼夷弾の油で、ぬらぬらと光っている。
達郎は車の爆発を妄想して、二人をせきたてる。
「エンジンが燃えるぞ、降りろ」
ドアを開けた。寛太が後ろでうなった。「だめだ、足がはさかってる」
達郎は内心うめきをあげながら、寛太の左足をひっぱりだしにかかった。新治が後部座席から手を伸ばす。寛太の足は、つぶれたフロントと、シートの間にはさまっている。ハンドルに圧迫されて、身動きできない。
「抜けない。二人とも先に逃げろ」
寛太がいうと、新治が耳元で怒鳴った。
「シートをずらせ、ばかやろう」
「そうか」
寛太は足下に手を伸ばして、レバーを引いた。シートが下がると、圧迫が消え、左足がすぽりと抜けた。
達郎が言った。
「二人とも出ろ!」
三人が車外に転び出たのと、戦闘機の射撃は同時だった。圧搾機で叩くような音がして、パジェロは数発の弾丸をくらって、完全にスクラップになった。
寛太と新治が、地面にへたりこみ、ともに爆風をくらっていると、
「死んじまえよ!」
と背後で声がした。二人がふりむくと、縁側で溺死女が叫んでいた。炎のついた部屋の奥では、なめ太郎が踊り跳ねている。
新治が、あいつらこの世界まで追ってきたのか、とつぶやいたが、あの連中のことを、三人ともが覚えているのだからいたしかたない。
寛太は座席によじのぼり、ひしゃげた車内に身をのりだす、シートの上に腹ばいになった。
「寛太、なにしてる。エンジンが燃えちまうぞ」
寛太が見ると、車の塗装がメラメラと炎を放っている。
「新聞だ、新聞がいるんだ!」
新治が寛太の服を引っ張るのと、寛太が新聞をつかむのは同時だった。二人は、芝生の上に転がった。達郎が怒鳴った。
「なにしてる! まだ、上で旋回してるぞ! こっちにこい!」
寛太がびっこをひいて達郎の元に走り出したとき、全壊したパジェロが、メラメラと炎を吹き上げた。
三人は土塀の際に隠れながら、じりじりと庭園を移動した。達郎が奥にある土蔵をさした。
「あの蔵に入ってやりすごそう。何か体に巻くものを見つけろ」
「何を巻くんだよ」
「座布団か、毛布だ。池の水にひたせば、ずいぶんましだろ? このままじゃ機銃の前に、火事で死んじまうぞ」
本宅は焼け落ちる寸前だ。そのなかで、土蔵だけが無事だった。
家人が空襲警報を聞いて運び出していたのか、扉があいて、中の荷物が散乱している。
土蔵に逃げこむと、さすがに熱気はましになった。寛太は、しばらくひっかきまわしていたが、入り口近くで束にしばられた古新聞を見つけた。
「おい、二人とも見てみろよ」
「ありがたい」と達郎は息をついた。「これでこの世界の状況がわかるぞ」
寛太と新治は、無言で達郎を見返した。達郎が、なんだよ、と言った。この世界、という言葉は、妙にリアルだ。
三人は、爆弾を懸念し、奥に行った。
新治がライターに火をつける。みんなは古新聞の束を前にだまりこんだ。
「なあ、妙な話だよな」と寛太は笑いかける。「こんな世界に来てさ、ここって、本多の親父の家だよな」
「そうらしいな」達郎が面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「利菜と紗英は、いつこっちに来たんだ?」
と新治が訊いた。この事態が、二人が町にたどりついたことと関係しているのかと、考えている。
「今日が十五日だってのはまちがいないのか?」と寛太。
「まちがいない」達郎が無精髭を撫でて言った。「憲兵が召集令状を読むときに、そういったからな」
「おまえらは、元の記憶を覚えてるんだな」
「ああ」
「もちろんだ」
と兄弟は言った。
三人は、逆さ書きの新聞をむさぼり読んだ。寛太はつぶやいた。
「これが現実だってのか……」
第三帝国に関する記述がほとんどだ。その手にかかって、ほとんどの国家が征服されている。寛太は目をしばたたく。ホロコースト政策すすむ、の文字が、紙面におどる。記事が本当だとすると、帝国が進めているのは人類滅亡計画といって、他ならない。彼らは帝国人種をのぞいて、人類を抹殺することに決めていたからである。計画は着々とすすみ、帝国は地上にいる人間の、三分の一を消すことに成功している。ざっとみても、二十億からの人が、百年に及ぶ帝国戦争で、消失したのである。
絶滅危惧種は、今や人類そのものだった。
戦争による貧困、疫病の蔓延が重なり、人口は五分の一まで激減している。
帝国の侵略は、ヨーロッパにはじまった。日本がまだ無事だったのは、大陸の端に位置していたから、という理由にすぎない。
「この第三帝国ってのはなんなんだ? どこからわいてでた。ヒトラーのナチスみたいなもんか?」と達郎が訊いた。
「おれたちの世界じゃナチスは負けた。こいつはもっと別のもんだよ。最悪だ。こいつらは、ユダヤ人だけじゃない、全人類をホロコーストにかけてる」と新治。
「サウロンだ。こんなことができるのはあいつだ。まちがいねえよ」
寛太がいうと、達郎と新治が、新聞から顔をあげた。
「そうだ、サウロンだ……」
達郎がいうと、新治がうなずいた。
「おれたち、いつのまにか記憶が戻ってる。元の世界の記憶が消えないのも、そのせいだよ。おれたちは普通の奴らとちがう。ガキのころにも、似たような体験をしてる」
記憶をとりもどしてみると、過去を思い出すことは、驚くほどたやすかった。
寛太は新聞を――元の世界の新聞を持ち上げる。
「おれたちはグループだった。おれたちが世界のねじまげをくいとめたんだ。今度も、そうするのを期待されてる」
「なにからだ」
と新治が訊いた。寛太は答えることができなかった。誰も答えを知らなかった。
「わるいものってのは、全人類の意志――なのかもしれない」達郎が顔を上げ、二人を交互に見る。「おれたちがグループであるように、全人類が全体からなる一(いち)なんだ。過去もふくめてな。その意志ってのは、たぶん……きっと一つに定まってない。この世から消えるか、存在しつづけるか……せめぎあってる」
と達郎は言う。人類の意志、あるいは宇宙の意志なのかもしれない。サウロンが消そうとしたのは、この宇宙そのものだったからだ。
寛太はうつむいた。今や、町どころではない、世界が彼らに牙をむいている。
新治がその手から、新聞をとりあげる。
「だとしたら、利菜と紗英を助けないと」と彼は言った。「もう一度、世界のねじまげを食い止めるんだ」
そうしたら、世界は元に戻るのか?
疑問だった。今となっては、元の世界の方が夢のような気がしてくる。
寛太は言った。「疫病ってのは、エボラウイルスみたいなもんかな」
「どうかな。おれたちの世界とはずいぶんちがうからな。戦争のせいで、病気の研究ができないみたいだ。帝国のやつらは、旧人類――って勝手に呼んでるみたいだが、その文明も残す気がないんだよ。みろよ(と新聞をたたく)。研究施設を破壊……農業も満足にできないだろうな。これはえらいこったぞ」
「だけど、おれたちは覚えてる」
寛太の静かな宣言に、達郎はしばらく沈黙した。ややあってうなずいた。
「そうだ、おれたちは覚えてる。きっと、ガキのころの記憶のせいだ」
「寛太……」
新治が呼びかけた。その深刻な声色に、達郎も寛太も静かになった。
「なんだよ」
「佳代子の記事がある……」
新治は寛太に新聞をさしだす。震える指でうけとる。「うそだろう」
新聞は、神保町の主婦がナイフで刺され、重体であることを告げていた。おれのコメントだ、と寛太はつぶやいた。新治はよく見えるようにライターの火を近づける。
三人は煤だらけの顔に、汗の玉をいくつも流した。
メラメラという音が間近に聞こえた。蔵の外壁が燃え始めているのだ。
呆然とする寛太の目の前で、文字が消え始めた。同時にその下から、インクがにじみでてくる。
「内容が変わる……」
と達郎がつぶやく。三人は状況の好転を期待したが、新聞の記事は、神保町の主婦が絞殺されたことを伝えていた。佳代子が死んだ……と寛太は言った。
「待てよ」と達郎がはげました。「これは未来の新聞だろう。佳代子はまだ死んでない。そうだろ」
「あ、ああ」と寛太はうつろにうなずいた。「そうだ、まだあいつを感じる。おれにはわかるんだ」
「利菜も、紗英も、まだ生きてるはずだ」
と新治。達郎が言った。
「この新聞がここにあるのは、偶然じゃない。おれたちを生かしたがってるやつ、味方するやつもきっといるんだ。でなきゃ、二十五年も前に、世界は終わってたはずだ。そうだろ?」
寛太と新治は、自分たちがそんな大それたことをしたのか自信がなかった。だけど、佳代子がまだ生きていて、あいつを助けなきゃいけないのは本当だ。そうしたいのだ。
「三人とも助けるぞ。弱気になるなよ。これは戦いなんだ」と達郎が寛太の肩を叩く。「これを体に巻け。頭にもだ。表の水をかぶりゃ、しばらくはしのげる」
達郎はいつのまに見つけてきたのか、かび臭いざぶとんを、どさりとひっぱりだす。
ビニールひもをひっぱりだすと、胴体に巻き付け手足にまき、頭にくくった。
寛太は新聞の詳細を読んだ。「あいつは伸子の部屋に行ったんだ」
「あのマンションか?」と達郎。「ここからだと、ずいぶんあるぞ」
「急ごう。もう時間がない」
三人は表の池にとびこんで、座布団に水を吸い込ませる。ずっしりと手足が重くなり、本物の鎧を着込んだような気分になる。
彼らは崩れた土塀から、外の様子をのぞいた。往来には人の姿がなく、黒こげの死体ばかりが転がっている。
左右からせまる炎に、息をのんだ。
三人は意を決すると、往来に出て行った。佳代子たちを、それにたぶん……世界を救うために。

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