あらすじ・朗読
清水宗治の切腹により、毛利との和議は成立した。しかしその直後、毛利陣営に主君・織田信長横死の報が届く。好機と見て秀吉を討つべしと息巻く吉川元春と、信義を重んじ「敵の喪を討たず」と諫める小早川隆景。毛利家が激論に揺れる中、秀吉はすでに動いていた。
追撃を阻むため高松の堰を切り、濁流で敵の足を止めると、すぐさま全軍に退却を命令。京の明智光秀を討つべく、世に名高い「中国大返し」が始まった。風雨の中、一日二十里を踏破する過酷な行軍の末に姫路城へ帰還した秀吉は、休む間もなく金蔵・米蔵を開いて将兵の士気を高め、次なる戦への準備を整える。
朗読を聴く
本文を読む ▼ 開く
喪を討たず
「出し抜かれた」「秀吉めに、まんまと、乗せられたものだ」「和睦の誓紙は破棄すべしだ」この声は、そのせつなの、毛利の帷幕全体のものだったといってもさしつかえあるまい。
(...本文は長いため、以下に全文を掲載しています...)
堰を切って
即時撤兵は両軍媾和の原則だった。羽柴方では、もうその日の夜から実行にかかっていた。が、それは高松城の北方を抑えていた八幡山の宇喜多忠家と、龍王山麓の羽柴秀勝の二軍が陣払いしたに過ぎない。
(...本文は長いため、以下に全文を掲載しています...)
一浴
六日夜は、沼城に泊まった。夜半ごろから暴風雨となった。すさまじい風雨の声をよそに、秀吉は深更まで、ここを守る宇喜多家の諸将へ、万一の場合の計を授けていた。
(...本文は長いため、以下に全文を掲載しています...)