七之助捕物帳

業平御殿

著:納言恭平

江戸の闇を切り裂く、名探偵の推理

「七之助捕物帳」は、捕物帳の名手、納言恭平(なごん きょうへい)による傑作時代小説シリーズです。 江戸は花川戸の御用聞(ごようきき)・七之助が、子分の音吉と共に、江戸八百八町で巻き起こる難事件に挑みます。

鮮やかな推理と、江戸の町に生きる人々の人情が織りなす物語は、今なお多くの読者を魅了し続けています。 このページでは、シリーズの一編「業平御殿」をお届けします。

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業平御殿

一、鬼瓦異变

 その朝。
 花川戸の御用聞七之助は、手拭をぶら下げて朝風呂に出掛けようとしているところへ、八丁堀与力成瀬陣左衛門の役宅から、至急迎えの使者を受けた。
 七之助は、乾児の音吉に留守をあずけて、辻駕籠を八丁堀に飛ばした。成瀬陣左衛門の役宅には、すでに五十年配の侍の客が、主人の陣左衛門と向い合っていた。
「やあ、もう来たか。御苦労、御苦労」
 陣左衛門は、そう言って、七之助をねぎらってから、早速、二人をひきあわせた。——侍は、業平河岸に屋敷を持っている、二千石取の旗本、秋月家の用人杵塚円四郎という人物であった。
「表沙汰にしては工合の悪いわけがあるので、内密に詮議をしてくれとおっしゃる。で、杵塚さんの話をじかにお前に訊いて貰った方が、何かと都合がよかろうと思って使を上げたのじゃ。御苦労だが、わしの顔を立てて一肌脱いで貰いたい」
「へい、よろしゅうございます。……業平河岸の秋月さまと言やあ、たしか、棟飾の鬼瓦で名高えお屋敷でしたね」
「さよう、さよう」と、用人はうなずいて、
「しかも、お前さんに、内密の詮議をお頼みしたいというのも、じつは、あの、鬼瓦について、いかにも迷惑千万な事件が持ち上ったものじゃからのう」
「と、仰言いますと?」
「昨夜のうちに、何者の仕業か、二つとも盗み去られた」
「へええ!」
「これが、眼に見えぬ物とでも言えば、たとえ千両箱を盗まれたとしても、泣き寝入りになっておれば事はすむ。ところが、屋根の上の棟飾となると、わざわざ、泥棒に見舞われましたと広告をしているようなものだで、隠そうにも隠しようがないからな」
 用人の口吻は、次第に愚痴っぽくなって行く。七之助は、それを遮るように、
「で、その、盗み去られた鬼瓦を探し出せと仰言るんですか」
「あ、いや。それよりも、誰が何のためそんな悪戯をしたか、それを詮議してもらいたいのじゃ。鬼瓦の方は、有り合せの物で、一時、人目をくらましておいて、至急に、もとのようなものを焼かせる手筈はもう済して来た。なにしろ、屋敷の鬼瓦は、普通のものに比べて、三倍はゆうに大きかったからな。こんなことがあると困るのじゃよ」
「そうですね。こんな時には、眼に立つのも善し悪しですね」
 と、七之助は調子を合せて、
「で、杵塚の旦那には、何かそのことについて、これという心当りでもございますのでしょうか?」
「さあ。どうせ、誰かのいやがらせだとは思うのじゃが」
「こう言っちゃなんだが、御主人の秋月さんは、あんまり評判のおよろしい方ではないからな」
 陣左衛門が、そう言って笑ったので、
「め、滅相もない。そ、それはみんな、秋月家に反感を抱く者の宣伝でござろう」
 と、用人は泡を食って弁解した。
 しかし、七之助も、かねてから、秋月隼人の悪評は聞いている。代々、拝金主義に凝り固った家柄で、金銭のためにはどんな因業(いんごう)な手段でもえらぶ。知行所の苛斂誅求は特にひどい。 雇人なども、知行所の人民を否応なしに引張って来て、ただ同様にこき使っている。やはり知行所から連れられて来ていた腰元が、たった一枚の小判の紛失から盗人の嫌疑を受けて成敗された、というような噂も聞いている。しかも、自分の生活は贅沢をきわめている。五年前に改築をした現在の普請なども、業平御殿などと呼ばれているくらいである。
「そうですね。これは、杵塚さんの御見込通り、誰かの悪戯かも知れませんね。とすれば、詮議がむずかしくなる。でも、まあ、なんとかやって見ましょう」
 と、七之助は、秋月隼人の、そんな、香ばしからぬ、評判を思い浮べながら気乗りのしない口調で、言った。

二、空屋敷の怪死体

 それから一刻の後。
 七之助は、屋根屋に化けて、業平御殿の屋根の上にのぼっていた。棟端には、もう、有合せの鬼瓦がくっつけてあった。 今朝、異変の発見と同時に、逸早く手配したのであろう。七之助は、用人の杵塚円四郎は相当のやり手だなと思いながら、そこら中を這い歩いたが、べつに、手係りになるような物も、発見出来なかった。
 ふと、誰か、自分の名を呼んでいるような気がしたので、彼は顔を上げた。すると、すぐ、門のそばの塀の峯にのぼっている音吉の姿が眼についた。梅の小枝の間から首を突き出して、しきりに喚きながら、手招きをしている。遠いので、何と言っているのか分らないが、何か、重大事件の突発でも知らせているらしい様子である。
「よし、今行く」
 七之助は、手真似で言って、急いで屋根を下りはじめた。
 門の前の、横川の水に小石を投げながら、音吉は、七之助を待っていた。
「なんだ、音吉?」
「す、すぐそこの空屋敷の中で、人が殺されてるんでげすぜ」
「そうか。じゃ、すぐ行こう」
 すたすたと足を早めながら、
「仏あ、男か女か?」
「男でさ」
「もう、検視の役人は見えているか?」
「たった今、見えたところで」
「そいつあ、失敗(しま)ったかな?」
「なあに」
 得意そうに、小鼻を蠢めかして、ちらっと、音吉が懐中からのぞかせたのは、持重みのしそうな平打の銀釵だった。
「どうしたんだ、それを?」
「草の中に落ちていやがったのを、奴さんたちが、野郎の死体に気を取られている間に、ちょろっと手繰り込みやしたんで。ねえ、親分、今度の事件も、もう、こっちのもんでげすぜ」
「なぜだい?」
「情ねえな。親分、もう、人形つくりの一件を忘れたんですかい? あっしが、平打の銀叙を手に入れたら、幸先がいいときまっているじゃ、ござんせんか」
「アハハハ……。そうだったな。あの時も、平打の銀釵から、事件の糸が解れたんだったな。……うむ、音。今度も、若しかしたら、そいつが役に立つかも知れねえ」
「あっ、親分、ここだ、ここだ」
 小ぢんまりした、寮風の空屋敷だった。よっぽど永い間空いていると見えて、門の内側には雑草が生い茂り、秋草の実が裾に絡んだ。男の死体は、母屋の蔭になった井戸端にころがっていた。廻り同心の浜中茂平次が、部下の手先たちを指揮しながら、死体を調べていた。
「あ、花川戸の、丁度いいところへ来てくれた。さ、こっちへ来て勝手に調べてくんねえ。お前が見たら、又何か、べつな手係を発見けるかも知れん」
「じゃあ、御免下せえまし」
 七之助は、挨拶をして前へ進んだ。
 血潮は、ぐっしょりと着物を浸し、あたりの草を染めている。男は、短刀ようの刃物で、横っ腹を抉られているのだ。指を入れて見ると、深い。これが致命傷にちがいない。しかし、男は、頭も割られているのだ。そこを調べていると、
「何か、かなり重いもので擲られたものらしい」
 と、茂平次が言った。
「瓦ですよ」
「瓦?」
「そうです。これ——」
 七之助は、血糊でこびりついている瓦の破片を、額から剥がした。
「成程、瓦の破片らしいな」
「ここにも」
 大地を掻き抱くように投げ出している死体の片手を持って、七之助は、又、その爪の間からも、瓦の破片をほじり出した。
「ううむ、瓦か。 分らないな」
 と、茂平次は唸った。
「旦那!」
 その時、一人の、茂平次の部下の手先が、頓狂な声を出した。
「なんだ?」
「どうも、先刻から、どこかで、見たことのある男だと思っていたら、この野郎、河童の平三(へいざ)ですよ」
「なに、島破りの手配のまわっている、あの河童か?」
「へえ」
 手先は、死体の襟に手を掛けて、ぐいと背中を剥いだ。とそこには、まごうかたなき河童の刺青。
「違いない」
 と、茂平次が感心する。
「ううむ」
 七之助も腕を拱いた。彼の頭には、一月ばかり前から廻って来ている、島脱犯人の人相が浮んでいるのだ。男が三人、女が一人。男の一人は、たしかに、河童の平三というのであった。そして女は――。 元吉原稲葉楼の若葉という花魁で、彼女は廓を脱けようとして、追手の男衆を一人手に掛けてしまったのである。
「音!」
 七之助は、音吉に顎をしゃくると、そっと、その、殺人の現場をはなれて、足早に空屋敷の門を出て行った。

三、瓦焼場

 門番小屋で面会を申し入れると、用人の杵塚円四郎は、ひそかに、七之助を用人部屋に通した。
「何か、眼鼻がついたのか?」
 と、円四郎の顔には、焦りの色が漂っている。
「まだ、そこまでは参りません。 しかし、二三日うちには、何とかかたがつきましょう」
 七之助は落ちつき払って、
「それについて、一寸お伺いいたしたいんですが、盗まれた鬼瓦は、いずれ、どこかで、特別に註文してお焼かせなすったんだと思いますが・・・・・・」
「うむ、そりゃあそうとも。鬼瓦ばかりじゃない。巴瓦から、唐草瓦、平瓦、みんな特別に焼かせたのじゃよ。お前、屋根に上ったんだから、紋章入に気がついたろう」
「へえ。さすがは秋月さまだと感心して居りますんで。で、あっしの知りてえのは、その瓦をお焼かせなすった窯場でござんすが」
「そんなことが、鬼瓦の盗難と、何か関係があるのかね」
「さあ、それは、詮議を進めて見なければ何とも言えませんが、無駄になっても、一応当って見たいんです」
「中之郷瓦町の嘉作(かさく)の瓦焼場といって訪ねて行けば分る」
 円四郎は不機嫌な顔をしていた。
 嘉作は、瓦窯のかたわらで土をこねていた。見るからに偏屈らしい老人で、
「嘉作はおれじゃが、何か用かね?」
 と、見向きもしない。
「お上の御用なんだ。一寸、知りてえことがあるんだが。なあに、決して、お前さんの迷惑になるようなことじゃねえ」
 懐中から、ちらっと覗かした、十手の効目が、覿面で、
「親分、お見外れ申しやした。おれに訊きてえと仰るなあなんですかい?」
「有難う。じゃ、訊くが、業平河岸の秋月さまの御普請の時、瓦の註文を受けたなあ、お前さんだったね」
「ああ、おれだ」
「あの時、ここの瓦焼場で、何か、かわった事件があったろう?」
「はあてね」
 嘉作はぱんぱんと両手の土をはたき落しながら、小首を捻ったが、
「うむ、あった、あった。秋月さまに忍び込んだ泥棒が、屋敷のお侍さんたちに追われて、ここへ逃げ込んだんだよ。おれはそんな筈はねえと思ったんだが、お侍たちは、ここに逃げ込んだに違いねえ、といってきかないんだ。やっぱり逃げ込んでいたよ。窯の中に隠れていた。うっかり火でも入れようものなら、人間の瓦ができるところだった。アハハハハ・・・・・・」
「何を盗んだんだろう」
「さ。まだそこまでは行かなかったらしい。梁の上に忍んでいるところを、発見けたんだというからね」
「頓間な泥棒だね。だが、秋月さまのお屋敷を覘った奴が、秋月さまの瓦焼場に逃げ込んで捕まるなんて、面白いじゃねえか」
「因果だあね。とかく、世間なんてそんなもんだよ」
 と、嘉作は悟りきったような口吻をもらした。

四、釵を探す女

 瓦焼場を出ながら、音吉は、つんと膨れっ面をしていた。
「さあ、いよいよ、お前の番がやって来たぞ」
 自分の出る幕がないと、機嫌のよくない、音吉なのだ。七之助は、そう言って、悄気ている音吉の心をいたわった。すると、
「しめたっ!」
 寄っていた眉根の皺がぱっと開いて、おそろしく現金に、元気を取戻した音吉が、
「さ、親分、言ってくんなせえ。 あっしの駆け出す方角はどっちですかい?」
「待て待て。お前、これから、一っ走り花川戸へ飛んでってな、若い奴等の仕事場を一廻りしてくれ。今夜、時刻はまだわからないが、手伝ってもらわにゃならんことができるかも知れないから、遠っ走りの夜遊びに出ないように、足止をしといてもらいてえんだ」
「へえ、ようがす。 野郎共、喜びやすぜ。女にもてねえ野郎ばかりで、退屈してやがるんでげすからね」
「なに、喜んでるなあ、てめえじゃねえか。久しぶりに、人に号令が掛けられると思って」
「ちょ、あれだ、いやんなっちゃうな」
 音吉は大袈裟に顔をしかめて、
「で、足止の触れが済んだらどこへ帰ってくればいいんですかい?」
「空屋敷で待っている。人に気づかれぬように入って来るんだぞ。お、それから、お前のふところのものを、こっちに渡しときな。お前、他人さまの物をちょろまかすのは名人だろうけれど、自分の物を落すのも名人だからな」
「ちェッ、又ですかい。いい加減にしておくんなさいよ」
「アハハハハ……」
「いやな笑い方だな。さっ、又なにか出ねえうちに逃げ出そう、っと。じゃ、親分、行って参りやすぜ」
 音吉は、銀釵を七之助の手にあずけて、くるっと尻をまくった。毛脛を蹴出して・・・・・・なんかと書きたいところだが、生憎、のっぺりとした女みたいな細脛なのだ。
 七之助は、その後姿が町角に消えると、踵を返して、空屋敷の方角に歩き出した。空屋敷では、いつしか、もう、河童の変死体が取片付られ、検視の役人も引上げてしまっている。
 七之助は、殺人現場からすこしはなれた芝草の上に仰向に長々と寝そべった。秋の空は高く深く澄み渡っていて、頭の上に、一羽の鳶が、ぴいひょろひょろと鳴きながら輪を描いている。
 ……音吉が、汗だくになって帰って来た時、七之助はいい心地でいびきをかいていた。人並よりも大ぶりな、恰好のいい鼻の頭に、一匹の機織バッタがつかまって、しきりに機を織っている。
「どうも、昼寝の好きな人だ」
 音吉は、呆れ返って、自分もかたわらの草の中に坐り込んだ。
 七之助は、秋の陽がうすづく頃になって、やっと眼を覚した。立上って、大きな欠伸と一緒にのびをすると、
「ああ、やっと日が暮れかけたか。音、そろそろ、お客さんをお迎えの準備に取りかかろうぜ」
「へえ。 誰か、お客さんがお見えになるんですかい?」
「暗くなったら、忘れ物を探しにいらっしゃる。こんな、足のつきやすい、大切な忘れ物を、放っておくわけはあるめえじゃねえか。それに人間てえ奴は、何かよくねえことをやらかすと、後の様子が気になって、そっとのぞきに行きたくなるてえ、厄介な性質を持っている」
「なある。先方からかかりに来るのを、こっちゃあ、寝ながら網を張って待ってようてえ、寸法でげすね」
 やがて、日は全く暮れてしまった。どこへ隠れ込んだのか、七之助と音吉の姿も見えない。虫の声。秋草の実の、風にすれ合うかすかなひびき。
 どこからか、鐘の音が五ツ(八時)を告げた。と――闇よりも黒い物の影が、風のように空屋敷の門を入って来た。物の影は、真直に古井戸の方角に向って歩いて行く。昼間、河童の死体のころがっていたところまで来ると、しばらく、じっとそこにたたずんでいる。一度歇んだ虫の声が又鳴きはじめた。かちっと、石の音がして、小さなふところ提灯にぱっと灯が入った。若い女の、凄艶な横顔が、その灯の中に浮び上った。
 女は、ふところ提灯を両袖でかこいながら、そこらあたりの物蔭だの、草の中を捜しはじめた。やがて、
「あら!」
 低い、安堵の溜息が、女の唇を洩れて、提灯の灯にちかっと光るものを、拝むように拾い上げていた。――七之助が、わざと捨てておいた平打の銀釵だった。
 女は、ふっと、ふところ提灯の灯を吹き消した。

 それから、又、虫の声をおどろかせながら、風のように空屋敷の門を出て行く。勿論、七之助に音吉という、厄介なお供の紐を、自分の腰帯に結びつけているとは、夢にも気がついていないらしい。
 女は、横川の土堤を、前のめりにつんのめるような足どりで、急ぐのであった。

五、花川戸義勇隊

 女は、深川八名川町の、とある裏町の、小粋な格子戸に姿を消した。
 それを見届けると、音吉は七之助と別れて、花川戸へと空脛を飛ばした。
「おっ、来た、来た!」
 町内に駆け込んで行った音吉の姿を見掛けると、山の宿の髪結床、床の油障子を引き開けて、ぱらぱらっと往来へとび出して来た、五六人の異様な風態。仰々しく刺子を着込んで、木刀を一本ぶち込んでいる大工の政吉。紺股引に印袢纏、どこから探し出して来たか十手の錆びた奴を見せびらかしている下剃の五一。商売用の天秤棒をひっ担いでいる魚屋の万作。 その他、船頭の庄九郎。 八百屋の源。 小間物屋の彦八も豆絞の手拭を首に巻き、尻なぞを端折っているのは、この男としてはせい一杯の甲斐甲斐しいいでたちのつもりであろう。
「音哥兄い、莫迦に遅いじゃねえか。哥兄いは人が悪いから、おれたちを担いだんじゃねえか、なんてぼやきながら、しびれを切らしていたところだったんだぜ」
 代表面をしてしゃしゃり出る大工の政吉。それには答えず、音吉が、
「てめえたち、なんだって、又、そんな怪体な風体なんかしてやがるんでえ?」
「えっ! だって今夜、大捕物の手伝いじゃねえのかい?」
「莫迦野郎! 痩せても枯れてもおいらの親分だ。三人や五人の悪漢退治に、てめえたちの手を借んなさるかってんだ。こう、みんな。 今夜これから面白え物を見てえと思うなら、そんな子供の玩具みてえなもん、捨てっちまいねぇ」
「そうか。 今夜あ、おれの腕前を見せてやるところだったんだが、残念だな。おい、みんな、玩具あ、こっちへ寄越しねぇ」
 下剃の五一が、てんでんの得物を一纏めにすると、床甚の店の間に担ぎ込んだ。
 かの、獄門首事件の際、音吉に頼まれて芝神明の矢場に繰り込んですっかり味をしめて以来、花川戸の若者たちは、音吉を隊長格に祭り上げて「花川戸義勇隊」を組織している。必要とあらば、いつでも御用の役に立ちたいというのだ。そして、今夜は、義勇隊を組織してから、はじめての出陣なので——。
 どのがん首を拾って見ても、口から先に生れたような江戸っ子連だ。わいわいと歯切れのいい啖呵をとばし合いながら、いつしか、吾妻橋を渡って、大川沿い、回向院を左に見て、一ツ目の橋から、御舟蔵の裏手に出ている。御舟蔵御番人の長屋の角を折れたところで、音吉が、
「みんな、一寸、待っていてくんねぇ」
 一人になって、八名川町の横丁へ曲って行くと、とある路地の暗がりから、
「音か」
 声を掛けて出て来たのは七之助だ。
「へえ。連れて来やしたぜ」
「そうか。丁度いいところだった。女は、あれから又一度買物に出て、たった今、帰ったところだ。何の買物だか分るか」
「そりゃあ、無理だ、親分」
「金槌だ」
「金槌い? そりゃ又、へんちきりんな買物でげすな」
「なに、ちっともへんじゃねえ。……じゃ、はじめようぜ」
「はじめろって、女の家に踏み込んで、ふん縛っちまうんですかい?」
「莫迦野郎! そんなことに、てめえたちの手を借りるかい。いいか。女の家の右隣が、生花の師匠だろう。だから、あの家が火事だって騒ぎ立てるんだ」
「へっ。そいつあ、面白ぇや。こんな面白え目を見られるたあ思わなかった」
 音吉はすっかり嬉しがって、引返して行くとすぐ、彼に引き連れられた義勇隊の面々が、横町の角に現われた。
「おれが、皮切りをやらかすからな」
 音吉は、面々をそこに残して、女の家の格子戸の前に差し掛ると、
「わあっ! 火事だあっ!」
 その後をつけて、
「火事だ、火事だあっ!」
「火事あ、どこだあっ!」
 大工の政吉、魚屋の万作なんどが、口々に喚きながら、駈け集って来る。
「生花師匠の家だあっ!」
「わあっ! 生花のお師匠さんの家が火事だあっ!」
「危い! 隣家にうつりそうだぞっ!」
 女の家では、何かあわただしい音が駆けずりまわっている。 と思ったら、乱暴に格子戸が開いて、取り乱した女の姿が、何か重そうな、大きな風呂敷包を抱えながら、ころがるように駆け出して来た。
「おっ、姐御! その重そうな風呂敷包、持たしておくんなさい」
 いきなり女の前にとび出したのは、朝のうちから屋根屋に化けたっきりの七之助。
「えっ、お前さんは、お前さん方は……」
 火事だと騒ぎ立てた面々も、最早、鳴りをしずめて、二人のまわりを押っ取り囲んでいるのだ。
 音吉が、火事騒ぎに家の中から飛び出した町内の人々に、銀磨きの十手をひけらかしながら、
「火事あ、お芝居でさ。みなさん、どうぞお引き取り下せえ」
 いい心持そうに、挨拶をして廻っている。
「姐御! 火事と聞いて、真先に抱え出したところを見ると、その大きな風呂敷、よっぽど大切な物と見えやすねえ」
 女はぎょっとして、
「なに、つまらない物さ」
「当てて見やしょうか。 業平御殿の鬼瓦とは、これいかに」
「ええっ!」
「姐御! いやさ、若葉さんの花魁! ここあ、往来で人眼がうるせえや。 家に入って、話をしようじゃござんせんか」
 女は、気も顚倒したように、七之助の顔を凝視(みつめ)ていたが、
「そうはっきりと正体を見破られちゃあ、あたしの負けさ。どちらの親分さんか存じませんが、どうなと勝手にしておくんなさい」
 度胸を決めたか、もう、悪怯れたようすも見せなかった。

六、鬼瓦の秘密

 行燈のかたわらに金槌が転がっている。
 七之助は、その金槌を拾い上げると、鬼瓦に向って振りかぶった。 はっし、と打ち下すと、粉々に砕かれた瓦の中から、燦然として溢れ出て来た無数の山吹色。
「あっ! 小、小、小判!」
 蟹のように眼を剥き出し、痙攣けたような声を出して、音吉はへたへたと、その場に腰を抜かしてしまった。
「ううむ。矢張り、おれの思った通りだった」
「えっ! 親分には、この鬼瓦の中から、小判が飛び出すと分ってたんですかい。しかし秋月さまも秋月さまじゃござんせんか。隠すにことを欠いて、屋根の天頂なんかに隠しておくから、泥棒に覘われるんだ」
「音。そんなことじゃ、一人前の御用聞にゃなれねえぜ。こりゃあ、お前、さんまの源次郎てえ、小泥棒の仕業だね。それ、五年前に、秋月屋敷の侍たちから、嘉作の瓦焼場に追い込まれた大将よ。奴さん、逃場を失っても、盗んだ小判だけは追手に渡したくなかった。そこで、ふっと工面をめぐらして、こね上げたばかりの、やわらけえ鬼瓦の中に塗り込んじゃったのよ」
「だって、その時あ、秋月屋敷では、何にも盗まれなかったてえじゃござんせんか」
「こそ泥に荒されたなんて、世間体を憚る侍なら、言えやしねえ」
「なある」
「親分さん。そん時の泥棒が、さんまの源次郎だって、どうして御存じですえ?」
 と、女が不思議そうに訊ねた。
「伊達にお上の御用を承わっちゃいねえ。それっくらいの調べがすんでなくってどうするものか」
「それでは申し上げます。 あの人は、あの晩、秋月さまのお屋敷に、小判を盗みに入ったのではございません。小判が目的なら、あのお屋敷の御金蔵には、千両箱がいくつも積んであります。なんでこんな、バラ銭なんぞ覘うもんですか」
「バラ、バラ銭?」
 と、音吉が、度胆を抜かれて泡を噴いた。
「秋月さまのお屋敷に、腰元に上っていた妹のおしんちゃんが、泥棒の名前を被せられてお手打になったんですよ。あの人はそれを怒って、秋月様の寝室に寝首を掻きに忍び込んだんです。 けれども、眼を覚されて、だんびらを引き抜かれて追いまくられてしまったんです」
「じゃ、この小判はどうしたんだ?」
「空手で逃げ出すのも口惜しいと思ったら、窓際の机の上に乗っかっている、蒔絵の小匣に眼がついたんですって。それで、それを引っつかんで逃げ出したら、匣の中に小判がいっぱい詰ってたんです」
「ふうむ」
「好きさ。あたし、あの人の遺口。あの人は、逃げ込んだところが、秋月さまの瓦焼場だってことを知ってたんですからね。それを知ってて、鬼瓦の中に塗り込んだんですよ。百両はたっぷりあったからな。あの吝ンぼおやじ奴、さぞ執念を残していることだろうて。そいつが屋根の天頂に乗っかってるなんて、愉快じゃねえか。なんて、あの人は、笑ってましたっけ」
「お前、島でさんまの源次郎と一緒だったのか?」
「ええ、そう」
「その源次郎はどうしたんだ?」
「病気になって死にました」
 ほろほろと、涙の玉が、女の、形のいい鼻のわきをころがり落ちた。
「源さんとあたしとは、子供の時から、親たちに許された仲だったのです。でも、彼奴の——秋月の畜生の知行所なんかに生れたのが不運でした。あたしの下に、弟や妹がたくさん生れて食えなくっても、年貢の取立に情容赦はございません。あたしゃ、泣く泣く、苦界に身を沈めるよりほかはなかったんですもの」
「それが原因で、源次郎も身を持ち崩したのか?」
「源さんには済まないと思いました。でも、年期が明けたら、やくざは承知であの人の女房になるつもりでいました。ところが、おしんちゃんの災難から、とうとう、あんなことになってしまったんですもの」
「矢張り縁があったんだな。一緒に島送りになるなんて」
「え、あたしもそう思ってますの。のろけのようだが、親分さん、五年も一緒に島で暮したんだから、あたしゃ、もう、いつ打首になっても、この世に思い残すことはございません」
「島破りは大罪だ。気の毒だが覚悟を決めなければなるまい」
 七之助はしんみりと言って、
「それで最後に、河童殺しの顛末を聞かしてくんねえ」
「彼奴は殺されてもいい男だったんですよ。河童の奴さえいなかったら、あたしだって、こんな眼くされ金になんか迷わなかったろうと思うと、口惜しくってなりません。河童の奴は、源さんとあたしの話を盗聞して、鬼瓦の秘密を知ってしまったのです。島破りがうまく行って江戸の土地に辿りつくと、河童の奴の最初の目的が、あたしには察しがついたんです。どうせ、河童の手に落ちるものなら、なんでむざむざ渡してよいものかと、あたしは思いました。あたしは、河童に口説かれたのを勿怪の幸い、靡くと見せて、一緒に仕事を手伝いました。河童の奴が、屋根の上から、鬼瓦をはずして下りて来ますと、あたしは、そんなものを抱えていては人に怪しまれるから、そこらで瓦をこわして、中身だけ持って帰ろうと、近所の空屋敷に誘い込んで、油断を見すまして、土手っ腹に風穴を穿けてやったんです」
「そうだったな。それから、瓦で頭を擲っているじゃないか」
「あれ。そんなことまで調べがついているんですか。あれはなんです。執念深い奴で、横っ腹を抉られながらも、抱き締めている鬼瓦を放しませんので、無理矢理に捥ぎ取って、なお獅噛みついて来るところを、滅多打ちに擲ったんです」
「ふむ、そうか。そんなことだろうと思った」
 七之助は、頷きながら、再び、金槌を振りかぶった。発止発止と打下す金槌の下に、ちかちかと山吹色を光らせながら、やがて、二つの鬼瓦は、粉微塵にくだかれてしまった。
 瓦の破片と埃の中から、山吹色を掻き集めて数えて見ると、丁度小判で百枚。
 音吉は、涎を垂らしそうな眼でそれを眺めながら、
「とんだ魔除けの鬼瓦でげしたな」
 口惜し紛れの大洒落だった。
「眼の毒、眼の毒」
 七之助は、急いで、それを手拭に縛り込んで、
「若い衆に、表の番はもういいからと、音吉、お前、そう言ってくんねえ。かえりに、一ぺえやって帰ってくれとな」
 懐の巾着から、小粒が二つ、畳に踊った。

「業平御殿」あらすじ

強欲で評判の悪い旗本・秋月隼人の屋敷から、自慢の巨大な鬼瓦が二つとも盗まれるという珍事件が発生。内密の調査を依頼された七之助が屋敷を調べていると、すぐ隣の空き屋敷で男の殺害死体が見つかる。死体の男は島抜けの罪人・河童の平三と判明。現場には銀の簪と瓦の破片が残されていた。

七之助は、鬼瓦が作られた瓦焼場を訪ね、五年前に秋月屋敷に忍び込んだ泥棒・さんまの源次郎が、その窯場に逃げ込み捕まったという話を聞き出す。二つの事件に関連を感じた七之助は、空き屋敷に網を張る。

案の定、夜更けに一人の女が現場に現れ、落とした銀簪を探し当てて立ち去る。女を尾行した七之助は、火事の狂言を打って女を燻り出す。女は元吉原の花魁・若葉で、河童の平三と同じく島抜けした罪人だった。彼女が火事と聞いて真っ先に持ち出したのは、盗まれたはずの巨大な鬼瓦だった。

若葉の告白により、全ての謎が解ける。五年前に秋月屋敷に忍び込んだ源次郎は、盗んだ小判を追っ手から隠すため、焼かれる前の鬼瓦に塗り込んでいた。島でその秘密を知った平三は、若葉と組んで鬼瓦を盗み出すが、小判を独り占めしようとしたため、若葉に殺害されたのだった。七之助は鬼瓦を砕いて百両の小判を回収し、事件を解決に導いた。

主な登場人物

花川戸の七之助(はなかわどのしちのすけ)

本作の主人公。鬼瓦盗難事件と殺人事件を結びつけ、五年前の盗難事件に隠された秘密を暴く。

音吉(おときち)

七之助の子分。殺人現場で銀簪を発見し、事件解決のきっかけを作る。

若葉(わかば)

元吉原の花魁。島抜けした罪人。恋人だった源次郎が隠した小判を手に入れるため、共犯の平三を殺害する。

河童の平三(かっぱのへいざ)

島抜けした罪人の一人。鬼瓦に隠された小判を狙うが、若葉に裏切られ殺害される。

さんまの源次郎(さんまのげんじろう)

五年前に秋月屋敷に忍び込んだ小泥棒。盗んだ小判を鬼瓦に隠したが、捕らえられ島送りとなり、病死する。

秋月隼人(あきづき はやと)

「業平御殿」と呼ばれる屋敷に住む強欲な旗本。彼の屋敷の鬼瓦が事件の発端となる。

Q&Aコーナー

Q. なぜ秋月屋敷は「業平御殿」と呼ばれているのですか?

A. 屋敷が業平河岸という場所にあることと、主の秋月隼人が贅沢の限りを尽くして建てた豪華な普請であることから、人々が皮肉を込めてそのように呼んでいます。

Q. 鬼瓦には何が隠されていたのですか?

A. 百両の小判が隠されていました。五年前に秋月屋敷に忍び込んだ泥棒・さんまの源次郎が、追っ手から逃れる際に、盗んだ小判をまだ焼かれていない生の鬼瓦の粘土の中に塗り込んで隠したのです。その鬼瓦がそのまま屋根に使われたため、五年もの間、誰にも気づかれずにいました。

Q. 犯人の若葉は、なぜ仲間の河童の平三を殺害したのですか?

A. 鬼瓦に隠された小判を独り占めするためです。二人は協力して鬼瓦を盗み出しましたが、若葉は最初から平三を裏切るつもりでした。鬼瓦を壊して小判を取り出そうと空き屋敷に誘い込み、油断したところを刺殺しました。